Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

歳の壁など 2022/07/06

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はというと、ずっと苦手意識のあった豚肉にハマり始めています。
元々、一時期に実家で流行った豚汁がどうにも油っぽく、それから豚肉自体も苦手になり避け続けておりました。
ですが、この夏豚肉を使った炒め物を多く作るようになったことでその印象が一気に跳ね上がりました。
夏バテで参っている時にも食欲を湧かせてくれるので、最近は豚肉を冷凍庫にストックしておかないと落ち着かないほどお気に入りです。
物事の印象など、きっかけ次第ですぐ変化してしまうのだなと感慨深い気分になりました。
琴音です。


さてそんな私ですが、今年の1月に20歳の誕生日を迎え、はや半年が経とうとしております。

自分自身学生という立場からも外れ数か月、年齢を壁とした大人の発言を度々思い返すようになりました。

20歳になってから、というよりは今まで何となく感じていたのが20歳を機により明確になったというのが正しいのかもしれません。

多くの場合、自分の印象に残る瞬間というのは残念な気分になった時のそれです。

親と考え方や習慣等について話した際「自分はもう年だから今更変えられない」と言われた時。

先輩方がライブのトークや歌の中で「いい年していつまで音楽やっているんだ」と言われたと嘆いた時。

そんなことはないという反抗心よりも強く、この人もとうとう言ってしまった、という悲しさが感じられます。

私自身、口に出すということの力は強大であると考えているからです。

少し話は逸れますが、皆さんにも緊張している時誰かに共有することで気持ちが和らいだり、体調が悪い時に家族から「風邪なのか」と聞かれ認めてしまうと風邪が悪化したりした経験はありませんか。

私の場合は幼少期特に上記のようなことが多くあり、一時は限界になるまで発言しない癖がついたりしていたほど、口に出すことには自認の要素や暗示的な効果があると実感していました。

だからこそ自ら年齢を理由に物事を断念したり嘆いたりする瞬間を見てしまうと、この人はそうやって諦めることや余計な足枷を自分にはめることを受け入れてしまったんだなと感じます。

勿論、年齢というのは否が応でも増えていってしまうものです。

「もう年だから」が言い訳ではないことも多くあります。

年を重ねるほど身体的な面では思うようにいかなくなりますし、誰か別の人と自分を比べ今更戻れないと空しくなることもあるかもしれません。

むしろそんな感情を持つことにすら疲れてしまっているのかもしれません。

自分はまだ成人になりたての状況ですから、あらゆる経験を重ねた当人達の考え方はわかりません。

ですがやはり、精神的な部分だけはぞんざいにならないでほしいと思えてなりません。

平坦な表現ですが、気持ちだけは自分の裁量でどうにでもできるからです。

変えられないものが多くなった時ほど、初心を見つめ自分で変えられるものが何かを考えることが重要だと感じます。

自分と向き合うことや自分と戦うことは幾つになろうと辛いものですが、年齢の話になるたびに自分はいつまでも自分自身といい意味で戦い続けられるようでありたいと思います。

まあ…これが世にいうトガっているということなのですかね…。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。