Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

論理とか感情とか。 2022/02/23

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
学校の授業が終わり試験が終わり、大変だったけど楽しかったな…などと終了モードになっていたのですが、コロナ禍のため補講三昧で全く終わった感のない日々を過ごしております。
卒業ギリギリまで生徒として奮闘していくスタイル、思ってたんと違うと感じつつこれはこれで悪くないなとも思っています。
ということでもう暫く学校ネタが出てきたりする予感です。
琴音です。

さて、最近は色々なことが一段落してきたので、ふと目に入った広告にサラッと引っかかり新しい漫画を読みはじめました。

「町医者ジャンボ!!」という田舎町が舞台の医療漫画で、患者さん達と関わり各々の生活や人間模様が垣間見えていくショートストーリー的な流れです。

しばらく読み進めていく中で少し考えこんだ瞬間がありました。

認知症のおじいさんとその介護をするおばあさんの話です。

物語の内容を1から話し出すと論点がずれてしまうので割愛しますが、終盤、おじいさんはメインキャラクターのお医者さんに妻が癌だということを知らされます。

周りが認知症だから分からないと言う中、おじいさんはおもむろに立ち上がり、慣れない手つきでお粥を作り始めます。

それはおばあさんが体調を崩す度にやっていた行動で、お医者さんはそれを助手と眺めながら「論理的な記憶は忘れても感情までは忘れないんだよ      大事な感情ならなおさらだ」と話します。

心が温まるシーンですが、この時私の頭には以前見た動画の内容が同時に過ぎりました。

理系のYouTuberさんが色々話している動画で、人口知能の勉強をしていると感情は単に数値計算した結果なのではと思ってしまうことがあると話すシーンなのですが、読んでいた物語と逆方向の要素を持っている気がして思い出してしまいました。

私は特に人口知能にも心理学にも詳しくありませんが、たしかに物事を判断をする時、何かしらの計算をしているというのは自覚している範囲でも理解できます。

例えば自分はAとBどちらが好きか、嫌いか、もしくは何が嬉しいか悲しいか、なども比較する対象や基準を自分の中でもっていたりするので計算だと言われれば計算です。

これをより細かい部分で無意識にやっていると言われても不思議ではありません。

ただ一方でロボットと人間の違いは、などという話になると必ず最初の方に感情の有無は出てくるので、人間を人間たらしめるもののひとつが感情だと思っている人も多いと思います。

こうして一人考えている今も、フラットに考えようとしていながらどこかで感情=計算というのが一理あると思っている事実を拒絶したい気もします。

いや、そもそも人間は思考だけでなく本能というのもありますから、本能と結びついている感情ならば真に感情といって差し支えないのでは…。

だとすれば私が見た漫画と動画両方を結びつけることができますね。

成長していく過程で色々なことを経験し、頭を使い考え記録し、最終的に本能が関わっている部分が残っていく。

となると、私も将来年老いて記憶が無くなって、ここで毎週書くようなちょっとした思考すらできなくなる日が来た時に、まだ残っているものを感情とできるのでしょうか。

そんな時私の頭には何が残っているのでしょう。

私の頭が感情として焼き付けたものがどんなものなのか気になります。

まぁ、そうなった時には今こうして考えていたことの方を忘れているのでしょうが。

皆さんはどうお考えでしょうか。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。