Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

思い出の一部 2022/02/09

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
実は最近、日常ツイートが多めでした。
というのも、スタッフさんと話し合い、日常ツイートに関しては投稿時間帯の制限の解禁やその他投稿時のルールなど、実は色々と緩和された部分が増えたのです。成人になったので。
これからはしょうもないツイートし放題ということです。ふふふ。
ということで、これからはより一層道徳心を忘れることなく、しっかり気を引き締めてやっていきたいと思っております。
と、言ったそばから先週のブログツイートにタグをつけ忘れました。
出だしからゆるっゆるですが、気が向いた時にでもお付き合い頂ければと思います。
琴音です。

さて、気づけばもう2月に入っておりました。

授業では先生方の雑談からお別れムードが漂っていたと思えば、もう最後の授業週になってしまいました。

2年生になったばかりの頃は思い出を作る時間がないと焦っていましたが、最近はやけに穏やかな気持ちで落ち着き払っています。

自分のなかで一種の諦めがついたのか、仲の良い人とはいつでも連絡ができるからいいかと楽観的になっているのか…多分両方かなと思い巡らしております。

ただ、ここへ来て何を欲するでもなく、半ば無意識にスマホのアルバムを漁る手癖が出てきたのは一抹の虚しさゆえなのかなとも思っています。

まるで思い出写真が沢山あるかのような表現をしてしまいましたが、そもそも写真を撮りたいと思うこと自体があまりないので、探せど探せどほとんどが急ぎで撮った学校の資料と電車の時刻表で埋まっています。

とてもとても無機質です。

ただ何度見てもこれしかない…と思う一方、むしろ思い出になりそうな写真がないことさえ思い出のひとつな気がしてきます

そして数少ない人の写っている写真にじーんときています。

考えてみれば、今の学校を卒業することで学校生活自体からも、青春と言われる時間からもさよならですね。

学校に通い卒業していくのをずっと繰り返していましたが、これからはどちらも無い毎日が始まります。

実感があるような無いような、不思議な気持ちです。

きっとこれからまた忙しない新生活を過ごす中で、少しずつ実感が湧いて受け入れていくのでしょう。

であれば、書きながら抱いている感情も思い出の一部なのかもしれません。

誰かと話した時、ブログを書く時、それから曲を書く時などなど時折思い出しては懐かしみたいと思います。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。