Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

記憶の外、母子手帳の中 2024/10/09

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
色々なイベントに出たい、色々な人と出会いたいと各所で言ってまわっているこの頃。
願望はひとまず口に出すべきと思い立ち、今年は充実した日々を過ごすことができています。
そのせいもあってか否か、最近プライベートでもやたらと不思議な出会いがあります。
電車や街角やスーパーなど…見知らぬ人からとにかく話しかけられるのです。
今までも一年に数回はありましたが、今年は月に数回ペースで話しかけられます。
1年で見れば、ざっくり例年×12倍になっているという事実…。
何かの引きを感じるこの頃です。
琴音です。


8月下旬、折に触れて実家に眠っていた母子手帳をゲットしました。

生まれて初めて見た自分の母子手帳…。

つい興味がそそられ、こっそり中身を覗いてみました。

母は随分と筆まめだったらしく、手帳には諸事項の数字やら各年齢ごとの記録まで色々と記されていました。

特に各年齢ごとの記録については私が全く知らなかったことや、言われてみればと思い出すことも多くありました。


例えば1歳頃までの記録。

生後1ヶ月、3~4ヶ月、6~7ヶ月、9~10ヶ月と区分けがされたページには、毎日数時間泣く、ミルクを嫌がる、夜泣きがひどい、食べない時は全く食べないなどなど、私のワガママぶりが記されていました。

どうしたらいいのか、これでいいのかといった母の悩みや心情も多く書かれており、昔「あなたの喉は赤ちゃんの時に鍛えられたんだよ」と話しながら目を細めていた母を思い出しました。

また食わず嫌いだった私に食事をさせるべく、父が毎回野菜の乗ったスプーンを「プシュ〜」と飛行機のように動かしながら私の口に運んでいたことも思い出しました。

そもそも両親は私自身が言っても恥ずかしくないほどの子煩悩で、我が子の幼少期の話をする時は大概とても嬉しそうなのです。

が、実際のところ、泣き声ばかりあげる神経質な娘を育てるのは容易ではなかったはずです。

また1歳~1歳半頃には発熱の記録が目立ち、中には約3ヶ月もの間、発熱とあわせて嘔吐や熱性けいれんなど色々な体調不良が起きていた記録もありました。

自分が性格も体調もハードモードすぎる赤子だった事実。

今まで育児において辛かったことをあまり聞かされなかったので知りませんでしたが、当時渦中にいた両親はどんな思いだったのかと考えると、流石に少し凹みました。


しかし折角ならともう少し読んでいると、幼い私の長所も見えてきました。

2歳の頃の欄を見てみたところ、文章で話す、絵本を覚えていて何冊もそらで読む、歌を数十曲うたうといった言語面の記録が多く書かれていました。

初めて知った部分も多かったのですが、文章で話す件ついては何度か聞いたことがありました。

本来「ママ、おやつ」などと単語で話すはずが「お母さん私おやつが食べたい」と流暢に話すので、他の親御さんから娘の年齢を聞かれるのが楽しくてたまらなかったと。

その話をする時の母はいつも嬉しそうで、私自身何も覚えていないながら誇らしかったものです。

実際このあたりから言葉や音楽への関心はとても高まっていたらしく、記録はまるで我が子自慢をメモしているようでした。

苦しかった時期の話はしないくせ嬉しかったことばかりよく話していたのは、親の愛情と気遣いだったのかもしれません…。

今と変わらず丸みのある母の文字を見ながら、そんなことを感じました。

部分的な思い出ですが、私が歌ったり踊ったりしていると母は毎日のようにビデオを回してくれ、父は私が読んでほしいといった絵本を何冊も何回でも読んでくれていました。

私の言語や音楽への関心がよく育ったのも、この両親あってこそなのでしょう。

そんな安心と温かい気持ちの中、母子手帳を閉じようとした最後。


いやいやじゃあ何故こうなった?!と強烈な疑問が湧きました。

この流れなら、私は早くから相当な口達者になっていたはず。

話術が一役買うほどの漫談アーティストになっていたっていいはずです。

しかし現実の私は口下手な人見知り。

ずっと話すことに苦手意識を抱いていました。

というよりむしろ、記憶の中の私像はずっと口下手で陰気な人間でしたから、幼い時にそんな一面があったなど信じられませんでした。

一体いつから私はこうなったのか。

もう一度母子手帳を開いて続きを読んでみました。

5歳の欄に、見つけました。

その後生まれた弟との様子が書き連ねてあるページの1番下。

「友達との関わり方が上手でない」という一文。

上手でない、とは果たしてどの程度のものだったのでしょう。

少なくとも2歳の頃から確認されていた成長が口下手というほど急落するのですから、上手でないという言葉では片付けられないくらいだったのは言うまでもありません。

対人関係がそれはそれは難ありだったことでしょう。

そして私はここから長い間、口下手街道を突き進むことになるのでした。

もしかしたら今、インスタライブなどで話術を鍛えんとしているのは、はるか遠い私へのある種の原点回帰なのかもしれません…。


さて、いかがでしたでしょうか。

母子手帳から垣間見た赤子の私。

私の記憶にはそのほとんどが刻まれていませんでしたが、この機会に新たな自分を見つけることが出来ました。

幼少期の出来事は、その後大人になってからも影響すると言いますが、私もまた良くも悪くも幼少期に多大な影響を受けているようです。

ここからの私はどう成長していくのか。

また気を引き締めて邁進していきたいものです。


はい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!