魔物を食べるとは 2024/02/14
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
不眠が収まってはぶり返すこの頃。
新たな打開策として、睡眠用の動画を聞き流し始めました。
小説の朗読に落語、そして大好きな漫才など、色々と聴いて熟睡を試みていますがなかなか上手くいきません。
漫才は笑い転げてしまいますし、落語は評判の良さと威勢の良さが比例するらしく「睡眠用」という記載を疑ってしまうほどです。
小説の朗読は上2つに比べると穏やかなのですが、名作の多くは暗さや怖さといった要素が盛り込まれているため、ある意味で1番眠れなくなります。
そんな訳でいまのところ眠りに良いベシャリには出会えていないのですが、三者三様の調子や世界観があり心は割と満たされています。
このまま続けていたらいつかこれで眠れる身体になるかもしれない…そんな希望的観測を持って毎夜聞き流しています。
琴音です。
さて、日頃食べ物への興味が止まない私。
今までも食べ物に関する様々な作品を鑑賞してきましたが、次なるブームが到来しようとしています。
最近「ダンジョン飯」というアニメが、専ら晩御飯のお供になっているのです。
このアニメ、題名の通りダンジョン内にいる有象無象の魔物を倒して皆で食べるという内容なのですが、出来上がったものを見てみると案外美味しそうです。
普通の料理と遜色ないものや、郷土料理のように見えるものもあり、世のゲテモノ料理と言われているものも見る人によってはこう見えているのだろうと感じられます。
なんなら食感や調理方法の描写があるので、(スライムはこんにゃくやナタデココみたいなんだな…)とか、(マンドレイクはポテトみたいな感じか、確かに見た目も似てるな…)などと想像して親近感を覚えることができます。
こうして考えてみると、食べるという行為には特別な力があるように思えてきます。
ダンジョン内の魔物というのはもとより、ファンタジー中のファンタジーな存在。
そんなファンタジーの権化をもってしても「食材」という側面を与えるだけで急に現実味を帯びてくるのですから、食という概念の影響力たるや相当なものです。
そう考えると上に書いたような親近感というのも、食感が近いものを知っているというだけではなく、魔物は食べられる側の存在である(どちらかと言えば弱い立場である)という認識ができたことによって生まれているのかもしれません。
またアニメの中では狩ったばかりの魔物を解体して調理するのですが、そのシーンについても考えさせられるものがあります。
魔法使いや解錠を担うキャラクターははじめ魔物を食べることに戸惑いを見せるのですが、勇者やドワーフの老人などは魔物の内蔵や足を躊躇なく剥ぎ取り、序盤からモリモリ食べます。
このシーンを見た最初、そりゃ魔物を食べるのは勇気がいるよなと思って見ていたのですが、その後美味しいと喜んでいるキャラクター達を見ているとまた違う考えが浮かんできました。
私は学生時代に朝釣った小魚をフライにして昼食にしたことがあるのですが、ついさっきまで生きていたものを食べるという行為には不思議な恐怖心を感じていました。
アニメに出てくるキャラクター達にとって魔物は普段から戦っている身近な存在ですから、どちらかといえば魔法使い達の見せていた戸惑いは、私が魚に感じていたような恐怖心や不安感に由来しているのではと思ったのです。
そういえば、釣り場には魚を直後に食べようとしていると思われるキャンプ用品を乗せた車や、うっかり釣れてしまったフグを地面に捨てたりする人がいました。
今思えば、彼らは私が感じていたような恐怖心を超えた状態になっており、釣った魚の命に対してタフになっていたんだろうと思います。
そう考えると、チームの前線で戦っている勇者が魔法使い達と比べ魔物を食べることに躊躇いをみせないのも合点がいきます。
もっと言えば、私達が当たり前に食べている肉や魚にしても、最初食べてみようと思い食べた人がいるからこそ食材というジャンルに入ったのです。
世の中のゲテモノ料理と言われている食べ物も、その一端をになっているのかもしれない…そう思うと一層食の奥深さに感じ入りました。
さて、いかがでしたでしょうか。
今回はアニメに付随する食への愛を書き留めただけになってしまいました。
こんなことを考えながら晩御飯を完食している自分も若干気持ち悪いですが、これがまた楽しいのです。
色々なことを考えさせられる「ダンジョン飯」、良ければ皆さんも見てみてください。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
不眠が収まってはぶり返すこの頃。
新たな打開策として、睡眠用の動画を聞き流し始めました。
小説の朗読に落語、そして大好きな漫才など、色々と聴いて熟睡を試みていますがなかなか上手くいきません。
漫才は笑い転げてしまいますし、落語は評判の良さと威勢の良さが比例するらしく「睡眠用」という記載を疑ってしまうほどです。
小説の朗読は上2つに比べると穏やかなのですが、名作の多くは暗さや怖さといった要素が盛り込まれているため、ある意味で1番眠れなくなります。
そんな訳でいまのところ眠りに良いベシャリには出会えていないのですが、三者三様の調子や世界観があり心は割と満たされています。
このまま続けていたらいつかこれで眠れる身体になるかもしれない…そんな希望的観測を持って毎夜聞き流しています。
琴音です。
さて、日頃食べ物への興味が止まない私。
今までも食べ物に関する様々な作品を鑑賞してきましたが、次なるブームが到来しようとしています。
最近「ダンジョン飯」というアニメが、専ら晩御飯のお供になっているのです。
このアニメ、題名の通りダンジョン内にいる有象無象の魔物を倒して皆で食べるという内容なのですが、出来上がったものを見てみると案外美味しそうです。
普通の料理と遜色ないものや、郷土料理のように見えるものもあり、世のゲテモノ料理と言われているものも見る人によってはこう見えているのだろうと感じられます。
なんなら食感や調理方法の描写があるので、(スライムはこんにゃくやナタデココみたいなんだな…)とか、(マンドレイクはポテトみたいな感じか、確かに見た目も似てるな…)などと想像して親近感を覚えることができます。
こうして考えてみると、食べるという行為には特別な力があるように思えてきます。
ダンジョン内の魔物というのはもとより、ファンタジー中のファンタジーな存在。
そんなファンタジーの権化をもってしても「食材」という側面を与えるだけで急に現実味を帯びてくるのですから、食という概念の影響力たるや相当なものです。
そう考えると上に書いたような親近感というのも、食感が近いものを知っているというだけではなく、魔物は食べられる側の存在である(どちらかと言えば弱い立場である)という認識ができたことによって生まれているのかもしれません。
またアニメの中では狩ったばかりの魔物を解体して調理するのですが、そのシーンについても考えさせられるものがあります。
魔法使いや解錠を担うキャラクターははじめ魔物を食べることに戸惑いを見せるのですが、勇者やドワーフの老人などは魔物の内蔵や足を躊躇なく剥ぎ取り、序盤からモリモリ食べます。
このシーンを見た最初、そりゃ魔物を食べるのは勇気がいるよなと思って見ていたのですが、その後美味しいと喜んでいるキャラクター達を見ているとまた違う考えが浮かんできました。
私は学生時代に朝釣った小魚をフライにして昼食にしたことがあるのですが、ついさっきまで生きていたものを食べるという行為には不思議な恐怖心を感じていました。
アニメに出てくるキャラクター達にとって魔物は普段から戦っている身近な存在ですから、どちらかといえば魔法使い達の見せていた戸惑いは、私が魚に感じていたような恐怖心や不安感に由来しているのではと思ったのです。
そういえば、釣り場には魚を直後に食べようとしていると思われるキャンプ用品を乗せた車や、うっかり釣れてしまったフグを地面に捨てたりする人がいました。
今思えば、彼らは私が感じていたような恐怖心を超えた状態になっており、釣った魚の命に対してタフになっていたんだろうと思います。
そう考えると、チームの前線で戦っている勇者が魔法使い達と比べ魔物を食べることに躊躇いをみせないのも合点がいきます。
もっと言えば、私達が当たり前に食べている肉や魚にしても、最初食べてみようと思い食べた人がいるからこそ食材というジャンルに入ったのです。
世の中のゲテモノ料理と言われている食べ物も、その一端をになっているのかもしれない…そう思うと一層食の奥深さに感じ入りました。
さて、いかがでしたでしょうか。
今回はアニメに付随する食への愛を書き留めただけになってしまいました。
こんなことを考えながら晩御飯を完食している自分も若干気持ち悪いですが、これがまた楽しいのです。
色々なことを考えさせられる「ダンジョン飯」、良ければ皆さんも見てみてください。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。