左利きの思い出 2024/01/24
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、左耳の下あたりが突如腫れ始めました。
虫に刺されたのかバイ菌でも入ったのか、とにかくそっとしておこうと気にしないよう過ごしておりました。
が、翌朝目を覚ますと腫れからは大量の組織液が…。
どうやら寝ている間に引っ掻いてしまったらしく、昨日は腫れているだけだった部分がおおかた擦りむけて皮膚が固くなっていました。
一先ず絆創膏を貼って様子を見ていますが、出続ける組織液と寝ている間の自分にヒヤヒヤする日々です。
琴音です。
SNSで時々流れてくる、あるあるネタ。
その内容は幅広く、自分は該当していないが何となく想像のつくものから、該当しているはずなのに共感できないものまで様々です。
そんな中、先日母から「左利き」のあるあるネタ投稿が共有されてきました。
共有したのは母で、これで私の苦労がわかると送ってきたようでした。
そう、何を隠そう私は琴音家で唯一の左利きです。
ただ普通に過ごしているだけでちょこちょこ珍しがられる左利き。
テーブルに座る時には左端を死守したい左利き。
「あ、髪切った?」よりも「あ、左利きなの?」に対する返しに悩む左利き。
日常の中でも手は特に使うツールですから、左利きというのは良くも悪くも、色々な場面で作用するものなのです。
そういえば正月の帰省時にも、母と左利きの話をしました。
まだ保育園児だった私の苦い思い出話です。
時は年小組の節分が近づく頃。
私の通っていた保育園では節分当日に鬼の面を被り、豆をまいたり鬼に扮した先生から追いかけられたりするレクリエーションがありました。
その為に少し前からクラスで鬼の面を作るのですが、世間知らずだった私はそこでつまずいてしまいます。
その日は画用紙にプリントされた鬼の面をハサミで切り取るという作業の日だったのですが、何故か私だけハサミを動かしても紙が切れないのです。
ゆっくり動かすと少しだけ切れるのですが、変な皺が出来たり色が褪せたりと、やればやるほどなんとも見栄えの悪い様相になっていきます。
幼い頃からこうした作業は基準の線に沿って綺麗に切りたい性分だったので、まだ利き手という概念を知らなかった私には相当堪えました。
そして周りの児童達が面の目を切り取り、角を切り取り、鬼の輪郭を切り取っても、まだ目を切り取っている途中の自分。
細かい作業は得意なはずなんだけどな…と自分の中でやる気や自信が虚しさに変わっていくのがわかりました。
それでも持ち前の根性でなんとか切り続けていたところ、私の近くを通った一人の先生が急に慌てだし、周りにいた他の先生も集まってきました。
「琴音ちゃん左利きだったの?ごめんね~…!」と私のお面を切り取ってくれる先生。
ヒダリキキ…?ヒダリキキってなんだろう…なんで先生は謝ってるんだろう…。
そしてふと周りを見ると、クラスメイト達が不思議そうに私の方を見ていました。
クラスメイト達にしても利き手という概念をまだ持っていない子はそれなりにいたでしょうから、急に私に謝りだし手伝いだす先生の姿は不思議だったのでしょう。
その感情は私も同じで、その時はなんとも言えない劣等感と恥ずかしさと安心感が混ざり合い、涙腺が緩んでいくのを堪えるのが大変でした。
そんなことを思い出しながら母に当時のことを話すと、「先生からすれば、ずっと切れなくて困ってたのに、周りにそれを見せないで寡黙にやってたんだと思ったらそんな反応にもなる」と頷いていました。
個人的には年少にもなって利き手をしらない子供って…と当時の自分に厳しい目を向けてしまう部分もあるのですが、今もどこかで似たような思いをしている園児がいるのかなと考えるとしみじみします。
自分だけが困っているという場面で助けを求める勇気。
昔の私は持てなかったものですが、果たして今の自分はどうなのか。
こうした機会でまた、自分を省みていかなくてはと思うこの頃です。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
先日、左耳の下あたりが突如腫れ始めました。
虫に刺されたのかバイ菌でも入ったのか、とにかくそっとしておこうと気にしないよう過ごしておりました。
が、翌朝目を覚ますと腫れからは大量の組織液が…。
どうやら寝ている間に引っ掻いてしまったらしく、昨日は腫れているだけだった部分がおおかた擦りむけて皮膚が固くなっていました。
一先ず絆創膏を貼って様子を見ていますが、出続ける組織液と寝ている間の自分にヒヤヒヤする日々です。
琴音です。
SNSで時々流れてくる、あるあるネタ。
その内容は幅広く、自分は該当していないが何となく想像のつくものから、該当しているはずなのに共感できないものまで様々です。
そんな中、先日母から「左利き」のあるあるネタ投稿が共有されてきました。
共有したのは母で、これで私の苦労がわかると送ってきたようでした。
そう、何を隠そう私は琴音家で唯一の左利きです。
ただ普通に過ごしているだけでちょこちょこ珍しがられる左利き。
テーブルに座る時には左端を死守したい左利き。
「あ、髪切った?」よりも「あ、左利きなの?」に対する返しに悩む左利き。
日常の中でも手は特に使うツールですから、左利きというのは良くも悪くも、色々な場面で作用するものなのです。
そういえば正月の帰省時にも、母と左利きの話をしました。
まだ保育園児だった私の苦い思い出話です。
時は年小組の節分が近づく頃。
私の通っていた保育園では節分当日に鬼の面を被り、豆をまいたり鬼に扮した先生から追いかけられたりするレクリエーションがありました。
その為に少し前からクラスで鬼の面を作るのですが、世間知らずだった私はそこでつまずいてしまいます。
その日は画用紙にプリントされた鬼の面をハサミで切り取るという作業の日だったのですが、何故か私だけハサミを動かしても紙が切れないのです。
ゆっくり動かすと少しだけ切れるのですが、変な皺が出来たり色が褪せたりと、やればやるほどなんとも見栄えの悪い様相になっていきます。
幼い頃からこうした作業は基準の線に沿って綺麗に切りたい性分だったので、まだ利き手という概念を知らなかった私には相当堪えました。
そして周りの児童達が面の目を切り取り、角を切り取り、鬼の輪郭を切り取っても、まだ目を切り取っている途中の自分。
細かい作業は得意なはずなんだけどな…と自分の中でやる気や自信が虚しさに変わっていくのがわかりました。
それでも持ち前の根性でなんとか切り続けていたところ、私の近くを通った一人の先生が急に慌てだし、周りにいた他の先生も集まってきました。
「琴音ちゃん左利きだったの?ごめんね~…!」と私のお面を切り取ってくれる先生。
ヒダリキキ…?ヒダリキキってなんだろう…なんで先生は謝ってるんだろう…。
そしてふと周りを見ると、クラスメイト達が不思議そうに私の方を見ていました。
クラスメイト達にしても利き手という概念をまだ持っていない子はそれなりにいたでしょうから、急に私に謝りだし手伝いだす先生の姿は不思議だったのでしょう。
その感情は私も同じで、その時はなんとも言えない劣等感と恥ずかしさと安心感が混ざり合い、涙腺が緩んでいくのを堪えるのが大変でした。
そんなことを思い出しながら母に当時のことを話すと、「先生からすれば、ずっと切れなくて困ってたのに、周りにそれを見せないで寡黙にやってたんだと思ったらそんな反応にもなる」と頷いていました。
個人的には年少にもなって利き手をしらない子供って…と当時の自分に厳しい目を向けてしまう部分もあるのですが、今もどこかで似たような思いをしている園児がいるのかなと考えるとしみじみします。
自分だけが困っているという場面で助けを求める勇気。
昔の私は持てなかったものですが、果たして今の自分はどうなのか。
こうした機会でまた、自分を省みていかなくてはと思うこの頃です。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。