弟が20歳になりました。 2023/11/22
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はというと、先日洋服の模様替えをしました。
模様替えと言っても、タンスの奥に隠れている冬服を救出し、できた空間に夏服を追いやるという作業です。
ここ数週間は毎朝1着ずつ救出していたのですが、面倒になってきたので残りを一気に引っ張り出すことにしました。
奥の方で眠りについていた冬服達、タンスの中の香りが移っていて、母のクローゼットに隠れて遊んでいた幼少期を思い出しました。
琴音です。
先日、年子の弟が20歳になりました。
弟が、お酒を飲める年齢になってしまいました。
姉の私は20代…ホホホという気持ちを味わっていたのもつかの間、早々に弟もその大台を突破してしまいました。
時空が歪んでるのではとすら思いたくなるこの何ともいえない時間の流れ。
安直に早くないかと戸惑う私と、まあ年子ですからと自分をなだめる私が交錯し、絶妙にたそがれております。
という訳で今回は、またひとつ大人になった弟にしみじみしながら、いくつか書き留めていこうと思います。
まずはなんと言っても音楽について。
音楽好きな両親のもとで育てられた私たち姉弟は、片方は歌に、片方はダンスに夢中になっていきました。
弟はもっぱら母の持っていたマイケル・ジャクソンのDVDがお気に入りで、毎日保育園から帰るなりMVを見て踊り方を真似ていました。
その時期から弟のダンス熱は凄まじいものになり、怖いもの嫌いな私が2階から降りてこなくなってもThrillerのMVを流し続け、鳥の餌やりみたいと言われてもBeat Itのサビを練習し続けていました。
訃報の際には、電気のついていない子供部屋で静かに落ち込んでいたのも未だに印象に残っています。
また弟は成長するにつれ音楽がなると発作的に身体が動いてしまうようになり、どんどん所構わず踊り出してしまうようになりました。
小学校に入学してからも弟の奇行は留まることなく、明るくて社交的な性格も相まって学校内ではちょっとした有名人でした。
そんな調子ですから、2学年上だった私の教室棟でも登校班の集会など折に触れて爆裂することがあり、集会前の休み時間に廊下で踊り散らかしては私の同級生達をしばしば驚愕させていました。
それに伴ってか、ビビりで大人しくお世辞にも社交的とはいえなかった私もある意味、弟との対照的さから見られるようになりました。
玄関や大廊下を歩いていると、下級生達がよく私を見て「〇〇(弟)のねえちゃんだ」と話していたのがむず痒かったものです。
弟の所構わずなところは旅行など特別な日においても変わらず、宿泊先のホテルで音楽が聞こえなくなるまで人の波をすり抜けながら踊りまくり、両親が慌てて追いかけるなんてこともありました。
子供は時に大人が手を焼くようなやんちゃをするものですが、私史上「踊っちゃだめ!」と叱られている子供は弟しか知りません。
そんな奇人すぎる弟でしたが、どうにも尊敬せざるを得ない点が1つだけありました。
ダンスをすることにおいて一切の羞恥心がない、ということです。
例えば体育祭の応援合戦など、学校行事でダンスを披露する際は、その気まずさや気恥ずかしさからやる気をだせない生徒もいるものです。
が、弟はむしろその逆。
キレキレな動きで踊りまくるのは勿論、好奇な目やザワついている観客が居ようものならそちらに向かって決めポーズする堂々ぶり。
そんなある種の攻撃性をもって場に没頭している弟は、どこか誇らしくもあり刺激的でした。
こうして己の道を辿っていた弟も、大人に近づくにつれ落ち着いていき、発作的に踊り出すということもなくなっていきます。
成長して一安心…かと思いきや、我が家にとっては重大な別の波がきてしまいました。
弟の反抗期です。
中3の受験期にストレスから荒れてしまい、高校に入ってからもその残り香はなかなか消えませんでした。
今思えば、科目によって得意不得意が激しかった私に比べ、どれも平均的に成果を出し親からもっとできると期待されていた弟には、何かと反動もあったのかもしれません。
そもそも思春期という時期の中で、両親自体に心を閉ざしがちになってしまうのもあったのかもしれません。
ですが姉の私としては当時、年齢が近いにも関わらず精神的にとても幼くみえる弟がストレスでした。
語弊を恐れず言えば、勝手に反抗期になった弟によって家の居心地が悪くなったり、なんだかんだ私が気を使うことになるのが面白くなかったのです。
そうして塵も積もった結果、我慢が限界になった私は高3の秋に弟を殴りつけ大喧嘩することになります。
こうして思い出してみると、もう少し待ってやれば一足先に上京していたんだからと思いますが、その時の私には状況を打開する方法が他に思いつきませんでした。
当時「姉とは結構普通に話せる」と言っていた弟、思春期で自分自身が整わない中、そんな姉と喧嘩になってはきっと傷ついただろうと後悔しています。
そんな紆余曲折あった弟も、大学を機に上京やバイトなどを経験し、今では大人な丸さを持った大学生になりました。
人生100年と言われる時代、20歳の壁など給水ポイントくらいなものなのかもしれませんが、弟にはこれからも多く素敵なことを経験してもらいたいものです。
まあ、人のこと言えないのですが…。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
私はというと、先日洋服の模様替えをしました。
模様替えと言っても、タンスの奥に隠れている冬服を救出し、できた空間に夏服を追いやるという作業です。
ここ数週間は毎朝1着ずつ救出していたのですが、面倒になってきたので残りを一気に引っ張り出すことにしました。
奥の方で眠りについていた冬服達、タンスの中の香りが移っていて、母のクローゼットに隠れて遊んでいた幼少期を思い出しました。
琴音です。
先日、年子の弟が20歳になりました。
弟が、お酒を飲める年齢になってしまいました。
姉の私は20代…ホホホという気持ちを味わっていたのもつかの間、早々に弟もその大台を突破してしまいました。
時空が歪んでるのではとすら思いたくなるこの何ともいえない時間の流れ。
安直に早くないかと戸惑う私と、まあ年子ですからと自分をなだめる私が交錯し、絶妙にたそがれております。
という訳で今回は、またひとつ大人になった弟にしみじみしながら、いくつか書き留めていこうと思います。
まずはなんと言っても音楽について。
音楽好きな両親のもとで育てられた私たち姉弟は、片方は歌に、片方はダンスに夢中になっていきました。
弟はもっぱら母の持っていたマイケル・ジャクソンのDVDがお気に入りで、毎日保育園から帰るなりMVを見て踊り方を真似ていました。
その時期から弟のダンス熱は凄まじいものになり、怖いもの嫌いな私が2階から降りてこなくなってもThrillerのMVを流し続け、鳥の餌やりみたいと言われてもBeat Itのサビを練習し続けていました。
訃報の際には、電気のついていない子供部屋で静かに落ち込んでいたのも未だに印象に残っています。
また弟は成長するにつれ音楽がなると発作的に身体が動いてしまうようになり、どんどん所構わず踊り出してしまうようになりました。
小学校に入学してからも弟の奇行は留まることなく、明るくて社交的な性格も相まって学校内ではちょっとした有名人でした。
そんな調子ですから、2学年上だった私の教室棟でも登校班の集会など折に触れて爆裂することがあり、集会前の休み時間に廊下で踊り散らかしては私の同級生達をしばしば驚愕させていました。
それに伴ってか、ビビりで大人しくお世辞にも社交的とはいえなかった私もある意味、弟との対照的さから見られるようになりました。
玄関や大廊下を歩いていると、下級生達がよく私を見て「〇〇(弟)のねえちゃんだ」と話していたのがむず痒かったものです。
弟の所構わずなところは旅行など特別な日においても変わらず、宿泊先のホテルで音楽が聞こえなくなるまで人の波をすり抜けながら踊りまくり、両親が慌てて追いかけるなんてこともありました。
子供は時に大人が手を焼くようなやんちゃをするものですが、私史上「踊っちゃだめ!」と叱られている子供は弟しか知りません。
そんな奇人すぎる弟でしたが、どうにも尊敬せざるを得ない点が1つだけありました。
ダンスをすることにおいて一切の羞恥心がない、ということです。
例えば体育祭の応援合戦など、学校行事でダンスを披露する際は、その気まずさや気恥ずかしさからやる気をだせない生徒もいるものです。
が、弟はむしろその逆。
キレキレな動きで踊りまくるのは勿論、好奇な目やザワついている観客が居ようものならそちらに向かって決めポーズする堂々ぶり。
そんなある種の攻撃性をもって場に没頭している弟は、どこか誇らしくもあり刺激的でした。
こうして己の道を辿っていた弟も、大人に近づくにつれ落ち着いていき、発作的に踊り出すということもなくなっていきます。
成長して一安心…かと思いきや、我が家にとっては重大な別の波がきてしまいました。
弟の反抗期です。
中3の受験期にストレスから荒れてしまい、高校に入ってからもその残り香はなかなか消えませんでした。
今思えば、科目によって得意不得意が激しかった私に比べ、どれも平均的に成果を出し親からもっとできると期待されていた弟には、何かと反動もあったのかもしれません。
そもそも思春期という時期の中で、両親自体に心を閉ざしがちになってしまうのもあったのかもしれません。
ですが姉の私としては当時、年齢が近いにも関わらず精神的にとても幼くみえる弟がストレスでした。
語弊を恐れず言えば、勝手に反抗期になった弟によって家の居心地が悪くなったり、なんだかんだ私が気を使うことになるのが面白くなかったのです。
そうして塵も積もった結果、我慢が限界になった私は高3の秋に弟を殴りつけ大喧嘩することになります。
こうして思い出してみると、もう少し待ってやれば一足先に上京していたんだからと思いますが、その時の私には状況を打開する方法が他に思いつきませんでした。
当時「姉とは結構普通に話せる」と言っていた弟、思春期で自分自身が整わない中、そんな姉と喧嘩になってはきっと傷ついただろうと後悔しています。
そんな紆余曲折あった弟も、大学を機に上京やバイトなどを経験し、今では大人な丸さを持った大学生になりました。
人生100年と言われる時代、20歳の壁など給水ポイントくらいなものなのかもしれませんが、弟にはこれからも多く素敵なことを経験してもらいたいものです。
まあ、人のこと言えないのですが…。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。