夢の中 2023/10/25
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
寒暖差のせいか、鼻が詰まったり詰まらなかったりするこの頃。
なんだか煩わしいので、少し前から鼻うがいをやり始めました。
リハの最中もそれは変わらず、休憩を狙ってはトイレに駆け込み鼻を洗浄しております。
そんな訳で、先日も休憩中トイレで鼻うがいをしていたところ、お姉さんが入ってきて挨拶をしてくださいました。
メイクばっちりで髪も綺麗に染まっており、シンプルながらも清楚な服装をしている素敵なお姉さん。
その視線の先には、フルすっぴんで若干服が濡れており、鼻うがい用のボトルを片手に鼻をかみまくっている私。
なんということでしょう…。
こんなにも対局の存在が同じ空間にいるカオス。
気まずいやら面白いやらで顔の筋肉を留めるのに必死でした。
そんな私をもろともせず、「花粉症ですか?最近鼻詰まりも流行ってますよね」と気にかけてくださるお姉さん。
トイレであんなにも見知らぬ人と話しこんだのは初めてでした。
なんだかんだ良い時間でしたが、今後鼻うがいはなるべく人の気配を感じながらやっていきたいものです。
琴音です。
日頃、睡眠が深すぎてほとんど夢を覚えていない私。
ですが最近、久しぶりにちゃんと夢を見ました。
そして私自身、未だかつて感じたことのない感覚を体験しました。
最近別の意味で夢の話をしたばかりですが、夢つながりということで書き留めてみようかと思います。
今回見た夢は物騒な話ですが、親が死んでしまうという内容でした。
まあそれ自体はあるあるな悪夢です。
特に子供の頃なら、きっと誰しも一度は見たことがあるでしょう。
私自身、幼少期はそういった夢を割とよく見ておりました。
明晰夢タイプではなかったので、毎度飛び起きては隣で寝息をたてている親の顔を見て正気に戻っていたものです。
そもそも幼少期に見ていた夢は、概要こそ恐ろしいものの設定がめちゃくちゃでした。
なぜか自分を含めた家族全員が海賊になっていて嵐に巻き込まれたり、なぜか突然崖が現れてその先にあるマグマ溜まりに落ちたり…。
字面だけで見れば海外のホラーコメディーのかとすら思えて来るほど、それはもう現実離れしていたのです。
逆に考えてみれば、そうした起こる出来事や理屈が崩壊している夢だからこそ、目覚めた時すぐ現実に戻って来れていたのかもしれません。
ですが今回の場合、そうした前提の状況がすでに違っていました。
そもそもこのところ、夢を見ることが全くと言っていいほどありませんでした。
故に夢そのものへの耐性が弱くなっていたのだと思います。
加えて、夢の設定になんとも言えない嫌な現実味があるのです。
場所が実家になっていたり、架空ながらも鮮明な記憶が頭に流れ込んできたりして、夢が有無を言わさず悲しい状況を受け入れさせようとしてきます。
昔の泣き叫びたくなるような激しい悪夢ではなく、あ…私の親ってもういなかったんだっけ…とどこかケロっとした感覚。
それでいて鉛のようなぬるい重みがじわ〜っと心臓にのしかかっていくような、悲しさや苦しさがあるのに涙が出ないような感覚。
最後は部屋の隅に置かれた親の位牌を眺め、呆然としていたところで目が覚めました。
ここでいつもなら、なんだ夢か…となるところなのですが、この時の私は現実と夢との境が曖昧になっていました。
まだ夢の中にいるようで、何が実際に起きていて何が起きていないのかも区別できず、それをどうだったかと確かめるのもなんだか怖いというよくわからない感情のままボーッとすること数十分。
ふと携帯を開き、前日父から届いたメールを見てやっと、全て夢だったんだと視界が開けました。
他愛ないメールやその日付を見ただけで、ここまで胸を撫で下ろすことは今後もそう無いでしょう。
そんな訳でなんとか現実に戻ってきた私。
最初に感じたのは、夢か現実かわからなくなるなんてドラマじみた現象がこんなにも簡単に起こるのだという驚きでした。
特別なことがなくともちょっとしたはずみで壊れてしまうほど脆い部分を、まだまだ私も沢山持っているようです。
どんな時でも自分を見失わないよう、心をより強固にせねばとしみじみしました。
そしてまた、大切な人を亡くした方々が言う「呆気ない」を擬似的に体験し、これも自分や家族を改めて思う機会として捉えていかねばと感じました。
今回は夢でしたが、いつかは現実になってしまいますから。
まだまだ足りないあれこれを、今のうちから沢山やっておかねばですね。
ひとまず夢の中で亡くなった人は長生きするらしいので、一旦良しとしておきます。
さて、いかがでしたでしょうか。
皆さんは日頃どんな夢を見るでしょうか。
楽しい夢に怖い夢…。
夢という幻想的なものでももしかすると現実の自分に気づきを与えてくれるかもしれません。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
寒暖差のせいか、鼻が詰まったり詰まらなかったりするこの頃。
なんだか煩わしいので、少し前から鼻うがいをやり始めました。
リハの最中もそれは変わらず、休憩を狙ってはトイレに駆け込み鼻を洗浄しております。
そんな訳で、先日も休憩中トイレで鼻うがいをしていたところ、お姉さんが入ってきて挨拶をしてくださいました。
メイクばっちりで髪も綺麗に染まっており、シンプルながらも清楚な服装をしている素敵なお姉さん。
その視線の先には、フルすっぴんで若干服が濡れており、鼻うがい用のボトルを片手に鼻をかみまくっている私。
なんということでしょう…。
こんなにも対局の存在が同じ空間にいるカオス。
気まずいやら面白いやらで顔の筋肉を留めるのに必死でした。
そんな私をもろともせず、「花粉症ですか?最近鼻詰まりも流行ってますよね」と気にかけてくださるお姉さん。
トイレであんなにも見知らぬ人と話しこんだのは初めてでした。
なんだかんだ良い時間でしたが、今後鼻うがいはなるべく人の気配を感じながらやっていきたいものです。
琴音です。
日頃、睡眠が深すぎてほとんど夢を覚えていない私。
ですが最近、久しぶりにちゃんと夢を見ました。
そして私自身、未だかつて感じたことのない感覚を体験しました。
最近別の意味で夢の話をしたばかりですが、夢つながりということで書き留めてみようかと思います。
今回見た夢は物騒な話ですが、親が死んでしまうという内容でした。
まあそれ自体はあるあるな悪夢です。
特に子供の頃なら、きっと誰しも一度は見たことがあるでしょう。
私自身、幼少期はそういった夢を割とよく見ておりました。
明晰夢タイプではなかったので、毎度飛び起きては隣で寝息をたてている親の顔を見て正気に戻っていたものです。
そもそも幼少期に見ていた夢は、概要こそ恐ろしいものの設定がめちゃくちゃでした。
なぜか自分を含めた家族全員が海賊になっていて嵐に巻き込まれたり、なぜか突然崖が現れてその先にあるマグマ溜まりに落ちたり…。
字面だけで見れば海外のホラーコメディーのかとすら思えて来るほど、それはもう現実離れしていたのです。
逆に考えてみれば、そうした起こる出来事や理屈が崩壊している夢だからこそ、目覚めた時すぐ現実に戻って来れていたのかもしれません。
ですが今回の場合、そうした前提の状況がすでに違っていました。
そもそもこのところ、夢を見ることが全くと言っていいほどありませんでした。
故に夢そのものへの耐性が弱くなっていたのだと思います。
加えて、夢の設定になんとも言えない嫌な現実味があるのです。
場所が実家になっていたり、架空ながらも鮮明な記憶が頭に流れ込んできたりして、夢が有無を言わさず悲しい状況を受け入れさせようとしてきます。
昔の泣き叫びたくなるような激しい悪夢ではなく、あ…私の親ってもういなかったんだっけ…とどこかケロっとした感覚。
それでいて鉛のようなぬるい重みがじわ〜っと心臓にのしかかっていくような、悲しさや苦しさがあるのに涙が出ないような感覚。
最後は部屋の隅に置かれた親の位牌を眺め、呆然としていたところで目が覚めました。
ここでいつもなら、なんだ夢か…となるところなのですが、この時の私は現実と夢との境が曖昧になっていました。
まだ夢の中にいるようで、何が実際に起きていて何が起きていないのかも区別できず、それをどうだったかと確かめるのもなんだか怖いというよくわからない感情のままボーッとすること数十分。
ふと携帯を開き、前日父から届いたメールを見てやっと、全て夢だったんだと視界が開けました。
他愛ないメールやその日付を見ただけで、ここまで胸を撫で下ろすことは今後もそう無いでしょう。
そんな訳でなんとか現実に戻ってきた私。
最初に感じたのは、夢か現実かわからなくなるなんてドラマじみた現象がこんなにも簡単に起こるのだという驚きでした。
特別なことがなくともちょっとしたはずみで壊れてしまうほど脆い部分を、まだまだ私も沢山持っているようです。
どんな時でも自分を見失わないよう、心をより強固にせねばとしみじみしました。
そしてまた、大切な人を亡くした方々が言う「呆気ない」を擬似的に体験し、これも自分や家族を改めて思う機会として捉えていかねばと感じました。
今回は夢でしたが、いつかは現実になってしまいますから。
まだまだ足りないあれこれを、今のうちから沢山やっておかねばですね。
ひとまず夢の中で亡くなった人は長生きするらしいので、一旦良しとしておきます。
さて、いかがでしたでしょうか。
皆さんは日頃どんな夢を見るでしょうか。
楽しい夢に怖い夢…。
夢という幻想的なものでももしかすると現実の自分に気づきを与えてくれるかもしれません。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。