Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

ステージ上で泣いた日 2023/08/16

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
暫く前からTw〇tter→Xへの移り変わりが話題に出ているこの頃。
遂には母や祖母とまでも変わった変わっていないと話すようになりました。
その度、世の中に根付いているアプリは少し仕様が変わるだけでも人々を動かしてしまうのだなとしみじみしております。
ですが1番の謎は、移り変わりをやだなやだなと言っている母のTw〇tterがアイコンやら名前やら徐々に転換していく一方、なんでもいい派な私のTw〇tterは全て変化なしで保持されていることです。
もしや、これもある種の物欲センサーなのでしょうか…。
琴音です。


先日、カナールステージ「ミヨッテ」に参加させていただいた際、懐かしい先輩アーティストさんご夫婦にお会いしました。

最後にお会いしたのはいつだったか…、久しぶりにご一緒することができ、えも言われぬものが湧き上がってきました。

こうしてふいに懐かしい出来事があると、色々な記憶が紐付いて思い出されます。

今回はその中から、話す機会がありそうでなかったとある記憶を書き留めていきたいと思います。

時期は中学3年生。

受験期も佳境に入って来た頃のことでした。

勉強勉強な日々の中、ライブが息抜きであり現実逃避になっていた私は、ギリギリまで受験勉強と音楽活動を両立したいと思っていました。

故にそれまでは、ライブの出番と出番の間で衣装のまま塾に行き、やたら華やかな私に塾の先生が目を丸くするというシュールな状況を生み出そうとも二足の草鞋を履き続けておりました。

今思うとなかなかにハードな日々だった気がしますが、受験に落ちたらライブ禁止と言われていた当時、音楽のためだと思えばやり切れていました。

ですが時期も時期になってくると気持ちだけではどうにもならないことも出てくるもの、不安から1月のライブをもって一旦活動を休止することにしました。

そうして迎えた休止前最後の日。

いつも通りステージに上がり、変わらない様子で歌いながらも、頭の中は暫く活動できない寂しさと不安が大半を占めていました。

ステージに上がっている間は音楽に集中したい自分と、負の感情を抑えきれない自分が拮抗しつつステージは進み、遂に全ての歌がうたい終わりました。

最後の挨拶を終えると、店内はふと明るくなり、うっすらとBGMが流れ始めました。

(ついに終わってしまった、早く片付けなくては…)と急ぐ私。

ですが伴奏をしてくれていた母はその場から動こうとせず、いつもギターをアンプから抜くよう合図を出してくれるお店の人達は奥に引っ込んで出てきません。

なにか手間取っているのかと心配になった次の瞬間、奥からホールケーキを持った店員さんがにこやかに出てきました。

程なくして色んな方向からなり始めるクラッカーと、音量が上がるBGM。

その時、やっと先程から流れていたBGMがバースデーソングだったことに気づき、今日が自分の15歳の誕生日だったのを思い出しました。

その時の感動と言ったらもう言葉になりません。

自分を大切に思ってくれる場所がある喜び、きっと活動を休止してもこの場所はまた受け入れてくれるだろうという安心感。

気づけば目からは涙がボロボロと流れ落ちていました。

本来ステージで泣くというのは声を出す出さないに関わらず喉が荒れてしまうので、あまりよろしくないのですが、その時は堪えきれなかったのですよね。

そんな訳で、その日は人生で初めてステージ上で泣いた日、そして出来れば最後でもあってほしいなと思っている日です。


いかがでしたでしょうか。

あまり泣いているイメージがないと言われる私ですが、過去には1番注目される場所で涙した経験もあったりしました。

この思い出もまた、私の糧になっています。

皆さんの記憶に残る泣いた日はどんなものでしょうか。

是非聞かせていただければ幸いです。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。