Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

喜んで魅せる 2023/05/17

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
日を追う事に夏の訪れを感じるこの頃、私はというと初めて友人の顔にメイクを施しました。
雑談あるあるなのかもしれませんが、最初化粧品の話をしていたのが段々とあらぬ方向へ曲がっていき、いつの間にか友人の顔にメイクを…という流れになったのです。
人の顔に化粧をするなど、メイクさんか美容系インフルエンサーくらいだろうと思っていたので流石に手が震えましたが、なかなか斬新な機会でした。
このような些細なこともある意味、人生経験だなとしみじみしました。
琴音です。


さて、最近「喜ぶ時のリアクション」について考えることがよくあります。

ここ暫く公私共に色々な人と関わることが多かったので、より一層考える頻度が増えているのかもしれません。

きっかけはおそらく、以前親にプレゼントを渡した時です。

普段寡黙な父は最初に「へへへ〜( -∀-)」という反応を少しするくらいで、後はその品をじっと眺めてみたり、撫でてみたり、包み紙ごと取っておいてみたり…と静かに噛み締めるスタイルをとっていました。

一方で日頃からダイナミックな反応をする母は一言でいえば爆発!という感じの様子で、写真を撮ってみたり叫んでみたりとリアクション芸人ばりの賑やかな様子を見せていました。

2人とも喜んでくれていることに変わりはなく、子供の立場としてはどちらも渡してよかったなと感じる反応でしたが、ふと振り返った時に衝撃があるのはやはり賑やかな母の方かと思います。

この衝撃というのは割と重要な要素で、再び何かプレゼントなどをしようと考えた時にシミュレーションとして思い起こされ、また同じ反応をもらえるかもしれないという期待を感じさせてくれます。

実際今思い返すだけでも、母は家族や友人といった身近な人にささやかなサプライズをされることが割と多かったように思います。

人の喜ぶリアクションはそれぞれ千差万別ありますが、世の中には特に魅力的な喜び方をできる人というのが存在するのです。

そして私は、その魅力的な喜び方ができることを、ある種の才能だと思っています。

母以外にも、友人やお客さんなどなど、喜び方が上手い(?)人を発見する度に同じことを考えるのです。

因みに私自身は、喜びをリアクションで表すのがとても苦手です。

もっと言えば父のような「へへへ〜( -∀-)」という姿すら、いざその時になると上手くできない場合があるので余計に苦手意識を持っています。

またその意識の裏返しからか、誰かにサプライズを仕掛けることがひとつの趣味なのですが、素敵な反応が返ってくる度に嬉しさと比例した後ろめたさを感じます。

なんの気なく魅力的なリアクションができるなんて、一体どんな人生を歩んできたんだろうと羨ましくなります。

こういった内心を書き留めると、自分なりに喜びを伝えればそれでいいのではという声が聞こえてきます。

勿論自分の感情を伝えることが一番重要ですから、それでいいと言えばそれでいいと思います。

むしろ咄嗟に嬉しい出来事が起きた場合、どんなリアクションをすればいいかなんて考えていられませんから、自分なりに表現するしかないと思います。

ですが実際、そんな時魅せる喜び方ができる人はまたやってあげようと思われやすかったり、一緒に喜んでいる人に幸せをより分け与えられたりするのもまた事実なのではと感じます。

願わくば魅せる反応ができる側になってみたい。

そんな思いを頭の片隅に置きつつ、色々な人を観察しておりますが、未だできた試しがありません。

これも人生経験によって可能になって行くのでしょうか。

もしくはやはり、天性の才能がなければ成し得ない技なのでしょうか。

そもそもこんなことを考えなくなった時こそ、魅せる側になれたりするのでしょうか。

謎は深まるまま、今日も今日とて考える日々です。

皆さんの身近には、喜ぶ才能を持っている方がいらっしゃるでしょうか。

また自分なりの心得があるという方はいらっしゃるでしょうか。

何か思い当たることがあれば、ぜひ一度ご教授ください。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。