Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

流行りの「転生」を真面目に考察する。 2023/04/26

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
この数ヶ月、ラジオで地声を褒めていただけることが増えてきました。
勿論DJの方々はゲストの気分を上げるのも役目です。
故にお世辞も込みだというのは重々承知の上なのですが、自分では使い物にならないと思っていた要素を良く言っていただけるというのは案外嬉しいものです。
そんな訳でここ数ヶ月はまた密かに自己肯定感が上がっております。
琴音です。


先日、ふと暫く開いていなかった漫画アプリを開いてみました。

特に見たい作品があった訳ではないのですが、暇つぶしに人気ランキングやオススメ枠を眺めようかと思ったのです。

その時、やたら転生モノが散見されることに気がつきました。

考えてみれば、近年はSNSなどでも転生モノの広告が増えてきた気がします。

日々新しい作品が生まれ、多くのジャンルに細分化されている漫画。

ですがその中で転生モノというコンテンツの力が強まってきたのは割と最近なのではと感じます。

ストレス社会と言われて久しいこの頃。

転生モノが世の人々に刺さる根底にはどんなストレスが潜んでいるのでしょう。

近年は別の誰かになりたいやら人生をやり直してみたいという願いを持っている人が、以前より多くいるのかなと一考しました。

加えていくつかあらすじを読んだところ、何やら意地悪な敵をやっつけたりとスカッとする展開があるようで更に今風を感じました。

確かに、生まれた場所や関わる人など運要素も多々あるのが人生というもの。

自分で自分の人生を終わらせたいという人すらいるくらいですから、やり直したいとか変えたいと思う人がいるのもおかしな話ではありませんよね…。

…などと暗いことを考えているとなんだか虚しくなってきたので、逆に考えてみることにしました。

もし転生できるなんてファンタジーな機会が現実に訪れたら…例えば今、転生できるスイッチなんかが世にできたとしたらどうなるのか。

そう考えてみると、まずそもそもそのスイッチを押す人がどれくらいいるのかなという疑問が浮かびました。

悲しい境遇の人は押すのかもしれません。

どうしても逃げたい出来事や記憶がある人も押すかもしれません。

マイナスな理由が無くとも、インフルエンサーなどは人によっては押したりするかもしれません。

ですがそこには、自分の今の人生を全て捨てなくてはならないという代償が発生します。

暮らしてきた人生によっては代償ではないと思う人もいるでしょうが、人生のあらゆるものを全て捨てるというのは考えれば考えるほど恐ろしいことです。

加えて、もし人生に気にくわないことがあったからとボタンを度々押したりしようものならどうなるでしょう。

ボタンを押す度立場がかわり、時代がかわり、食べ物がかわり、使える道具がかわり、家族や友人がかわり…。

そんなようでは早い段階で自分の所在すら分からなくなってしまう危険すらあります。

しかも良い人生かどうかや転生前の人生と比べどうかなんて暫く過ごしてみなければわかりませんから、新たな不満や悲しみが生まれる可能性もあります。

加えて実際に人生を全く別のものにしてしまう場合、漫画のようにある程度の年齢まで描かれて「こうして主人公達は幸せに暮らしました」なんて程よいところで締めくくられたりすることもできません。

また以前よりマシな人生にはできても、完全に良い人生にすることはできないというのを言葉以上に実感することにもなります。

結局どんな人生に巡り会おうと、基本は全うする道のみになってしまうのですよね。

そう考えると、私は転生できることになってもしたくないなと感じました。

そして同時に、今転生モノを読みだれかになれたらと想像している人は、想像までに留められているその時点がどのくらい幸せなのかとはあまり考えないのだろうなとしみじみしました。

さて、かなりファンタジーな世界を、私の偏見により真面目に考えてみた今回。

皆さんはどう思われるでしょうか。

余談ですが私個人は、嘘〇いのような頭脳戦や心理戦の展開される漫画や、ワンパ〇マンのような主人公が圧倒的な強さを持ちながら悩みや優しさを垣間見せたりする漫画が好みです。(ご飯が食べたくなるので料理系も好きです)


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。