純粋すぎたあの頃。 2023/03/29
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
いつの間にか夕方の明るさが映えるようになり、季節の変わり目を感じます。
少し前まではもう日暮れかと物寂しい気持ちになっておりましたが、気づけばそんなことも忘れ、程よくぬるい気温と曇り空に和む日々です。
明るさ1つで感じ方が変わるくらいですから、人間気の持ちようだなと再確認しております。
琴音です。
先日、昔作った曲について母と話していました。
中学生時代に作った夢物語という曲。
当時弾き語りしていた原曲はかなりフォーキーで、作った自分からしても、何度歌ってもダサさというか泥臭さの否めない曲でした。
ですが母にとってはお気に入りだったらしく、歌詞の内容に自分の生き方と通ずる部分があると話してくれていました。
本来有難い話ですが、それを聞いた時の私は素直に喜ぶことも悲しむこともできない、なんとも言えない気分になっていました。
実はずっと引っかかっていたことがあったのです。
そもそも中学生時代の私は、世間知らずでどこか純粋すぎるところがありました。
純粋、なんて良いように聞こえますが、単純で人の言動に惑わされやすい人間でした。
幼少期に経験した人に傷つけられるという経験を忘れてしまい、音楽に関わる人に悪い人はいないと信じきっていました。
ライブ活動を始め、当時は当時なりに一生懸命過ごしていましたが、今思えばどう考えても浅はかでした。
母のサポートに守られていたからか、先輩アーティストさん達が優しかったからか、私が人任せだったからか、素直で無知なまま音楽だけをやり続けていました。
能天気な状態でも考え事はしてしまうもので、そうして時間をかけ作った曲には相応の思い入れを持っていました。
こと作詞について言えば、たとえ周りに綺麗事だと馬鹿にされても、それでも自分は訴え続けたいということを歌詞にしていました。
ですがそれから紆余曲折あり、家族や先輩方から離れ自分の環境が変わっていく中で、自分自身の内面も変わっていきました。
守ってくれる人達がいなくなった結果、今まで体験することのなかった人の醜さを沢山知るようになったのです。
そしてそれらの醜さに対抗する術さえ持っていなかった小娘はひねくれ者になり、疑心暗鬼になっていきました。
皮肉にも性格がひねくれると、純粋だった時より多くのことに気づくようになります。
良いことも悪いこともより一層見えてくるので、深く考えられるようになる一方、純粋すぎていた頃書いた歌にコンプレックスを感じ始めました。
それは単に浅はかだった自分や歌詞に苛立つ、というだけではありません。
もう戻らない時間への虚しさ、綺麗事ばかり言ってられないと思う側に立つことを覚えた悔しさ、それでも過去の自分や歌を突き放しきれないやるせなさ…。
多くを知ってしまった人に否定されても歌いたいと思って書いていた歌詞が1周回って自分に突き刺さってくる感覚は、なんとも辛いものです。
ここの歌詞はどんな気持ちで書いていたか、何を伝えたかったのか、自分が1番よく分かっているのです。
曲を褒められていたはずなのに、いつの間にかそんなことを口走り、もうあの頃のような歌詞は書けないと思うと沈んでしまうと呟きました。
相槌を打ちながら聞いていた母は最後、「今だって同じ。感じていることも考えていることも、全部今しかできないんだよ。」と話しました。
その言葉は優しさと厳しさが混ざったような、強さを持った一言でした。
何もかも救われたような晴れやかな気分…とまでは行かずとも、あの頃に作った曲と今の自分が繋がった気がしました。
多くを知ってもひねくれてしまっても、あの頃も今も音楽が好きな私は確かに居るのだと受け入れられた気がしました。
そんな出来事があってから数週間、現在は当時の自分も共感出来そうな歌詞とはどんなだろうと考えています。
今も昔もこれからも、その時なりに精一杯。
沈みかけた時に姿勢を正してくれる家族は有難いものです。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
いつの間にか夕方の明るさが映えるようになり、季節の変わり目を感じます。
少し前まではもう日暮れかと物寂しい気持ちになっておりましたが、気づけばそんなことも忘れ、程よくぬるい気温と曇り空に和む日々です。
明るさ1つで感じ方が変わるくらいですから、人間気の持ちようだなと再確認しております。
琴音です。
先日、昔作った曲について母と話していました。
中学生時代に作った夢物語という曲。
当時弾き語りしていた原曲はかなりフォーキーで、作った自分からしても、何度歌ってもダサさというか泥臭さの否めない曲でした。
ですが母にとってはお気に入りだったらしく、歌詞の内容に自分の生き方と通ずる部分があると話してくれていました。
本来有難い話ですが、それを聞いた時の私は素直に喜ぶことも悲しむこともできない、なんとも言えない気分になっていました。
実はずっと引っかかっていたことがあったのです。
そもそも中学生時代の私は、世間知らずでどこか純粋すぎるところがありました。
純粋、なんて良いように聞こえますが、単純で人の言動に惑わされやすい人間でした。
幼少期に経験した人に傷つけられるという経験を忘れてしまい、音楽に関わる人に悪い人はいないと信じきっていました。
ライブ活動を始め、当時は当時なりに一生懸命過ごしていましたが、今思えばどう考えても浅はかでした。
母のサポートに守られていたからか、先輩アーティストさん達が優しかったからか、私が人任せだったからか、素直で無知なまま音楽だけをやり続けていました。
能天気な状態でも考え事はしてしまうもので、そうして時間をかけ作った曲には相応の思い入れを持っていました。
こと作詞について言えば、たとえ周りに綺麗事だと馬鹿にされても、それでも自分は訴え続けたいということを歌詞にしていました。
ですがそれから紆余曲折あり、家族や先輩方から離れ自分の環境が変わっていく中で、自分自身の内面も変わっていきました。
守ってくれる人達がいなくなった結果、今まで体験することのなかった人の醜さを沢山知るようになったのです。
そしてそれらの醜さに対抗する術さえ持っていなかった小娘はひねくれ者になり、疑心暗鬼になっていきました。
皮肉にも性格がひねくれると、純粋だった時より多くのことに気づくようになります。
良いことも悪いこともより一層見えてくるので、深く考えられるようになる一方、純粋すぎていた頃書いた歌にコンプレックスを感じ始めました。
それは単に浅はかだった自分や歌詞に苛立つ、というだけではありません。
もう戻らない時間への虚しさ、綺麗事ばかり言ってられないと思う側に立つことを覚えた悔しさ、それでも過去の自分や歌を突き放しきれないやるせなさ…。
多くを知ってしまった人に否定されても歌いたいと思って書いていた歌詞が1周回って自分に突き刺さってくる感覚は、なんとも辛いものです。
ここの歌詞はどんな気持ちで書いていたか、何を伝えたかったのか、自分が1番よく分かっているのです。
曲を褒められていたはずなのに、いつの間にかそんなことを口走り、もうあの頃のような歌詞は書けないと思うと沈んでしまうと呟きました。
相槌を打ちながら聞いていた母は最後、「今だって同じ。感じていることも考えていることも、全部今しかできないんだよ。」と話しました。
その言葉は優しさと厳しさが混ざったような、強さを持った一言でした。
何もかも救われたような晴れやかな気分…とまでは行かずとも、あの頃に作った曲と今の自分が繋がった気がしました。
多くを知ってもひねくれてしまっても、あの頃も今も音楽が好きな私は確かに居るのだと受け入れられた気がしました。
そんな出来事があってから数週間、現在は当時の自分も共感出来そうな歌詞とはどんなだろうと考えています。
今も昔もこれからも、その時なりに精一杯。
沈みかけた時に姿勢を正してくれる家族は有難いものです。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。