Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

お互い様精神 2022/10/05

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、たまたまYouTubeでカードゲームをする様子を見ていました。
カードゲーム動画を見ているといつも思うのですが、なぜ多くの人はこれから引くカードを行儀良く重ねるのでしょうか。
幼少期カードをぐしゃぐしゃに撒き散らしてその中から選ぶスタイルを好んでいた私は、毎度謎に思ってしまいます。
個人的な価値観でしかありませんが、重ねることでこれから引くカードの運命が決まってしまっている感じが嫌です。(伝われこの思い)
毎回毎回、自分の手で多くの中から1つを選びたいのです。
まあでもよく考えたら動画的には撒き散らされてると汚く見えるかもという配慮なのかもしれませんが…。
などと考えながら今日もカードゲーム動画をみて賑やかな雰囲気に黄昏ています。
琴音です。


さて冒頭の小話でも1つ話しましたが、日々生きているとふと「ん?」と思ってしまうことがあります。

ということで今回は本文の方でも最近ちょっと引っかかった出来事について書いていきたいと思います。

題材はズバリ「お互い様精神」です。

事の発端はネットニュースを漁っていた時のこと。

ネットニュースというのは面白いもので、情勢や流行りの話題などが取り上げられる一方、ちょっとした連載漫画などのレビュー記事なども掲載されていたりします。

その日も流れてきた漫画を眺めていたのですが、ふと意地悪キャラが周りに追い詰められ「お互い様でしょ」と口走るシーンに引っかかりました。

お互い様ってなんなんだろうなと思ってしまった自分がいたのです。

もっと言えば、お互い様という言葉がなんだかネガティブなものに感じたのです。

お互い様という言葉は、フラットに受け取れば誰でも失敗したり困ったりすることはあるから助け合おうという平和的な内容が受け取れます。

ですがほんの少し内容の見方を変えれば、自分が困った時のために保険として人を助けておこう。

もしくは、自分が失敗した時に大目に見てもらえるように他の人の失敗を大目に見ておこう。

というように捉えることも十分可能な言葉です。

なんなら現にお互い様の概念をこちらの方で捉えて妥協する考え方に持っていく、なんて人は意外と多くいます。

(余談ですが「完璧な人はいないから」という言葉も似たような妥協の瞬間によく使われていたりします。)

こうして考えてみると、「お互い様」というのは平和的どころか自己保身の塊で納得のいかない表現に感じられてきます。

ここまで考えて、言葉の闇に気づいてしまったと落ち込んでいたその時。

以前心がほっこりする系漫画にもお互い様精神が使われていたのを見たことがあったなと思い出しました。

内容としては、街中で困っていた主人公を通りがかりのおばあちゃんが「お互い様だよ」と言って助けてくれるというシンプルなものです。

が、考えてみればこの内容ならばあまりネガティブな要素は感じられません。

一体何が違うのか…。

暫く悩んでみた結果、お互い様という表現を「恩を売るために使う」か「人助けの一旦の理由にする」かで印象がかなり変わってくるという根本的なことに気づきました。

一旦の理由として使う場合、人助けをした当人は自分が困った時は誰かに助けられたいという気持ちを真に持っている訳ではないのです。

先のほのぼの漫画の内容で言うならば、たまたまその日出会ったおばあちゃんと主人公は今後二度と会わないかもしれない、でもおばあちゃんはお互い様と言って助ける。

つまり、とりあえずの理由づけとしてお互い様と言っている。

このような場合、お互い様の純度は一気に上がります。

その真髄に見返りを求めない無償の優しさがあるからです。

見返りを求めることでかえって状況が悪くなってしまうという昔話もあるこの世。

やはり端から自分の利益を一番に見据えた善意というのは純粋さに欠け不穏な雰囲気をまとってしまうのだろうなと感じました。

こうして一通り物思いにふけってみた後、無償の優しさを誰彼構わず振りまくのはなかなか難しいことなのかもしれませんが、せっかくならば少しでも格好良い形で「お互い様」を使いこなせるようになれたらいいなという感想が残りました。

お互い様精神、皆さんはどうお考えでしょうか。

日常のふとした言動は注目するほどに奥深いものですね。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。