捉え方と、柔らかい人。 2022/08/17
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
お風呂で汗を流すのが心地良いこの頃。
入浴剤を入れることで贅沢を感じています。
今まであまり気にかけていませんでしたが、薬局などに行くと色々な入浴剤があるもので収集癖が疼きます。
それはそうと、お風呂の防音性の高さに気づいてからお風呂で歌うのがマイブームです。
湿気で喉も痛みませんし合理的なお風呂ライフを謳歌しているなと感じます。
琴音です。
最近、捉え方というのは多種多様だなと思う日がとても増えたなと感じます。
善意悪意、故意過失、何についてもあらゆる角度から捉えられ、疑われ慮られ議論されたりする世の中です。
不安定な状況が拭えないのもあるのでしょうが、なんだか色々面倒臭いなとも思います。
ですが、そんな時だからこそなのか改めて考えさせられることも多いものです。
その1つが先日友人と話していた時のこと。
私が大きめのあくびをしようと息を吸い込んだところ、口を予め大きめに開けていたせいでヒュォォーというなかなかしっかりした呼吸音が鳴ってしまいました。
どうせ周りの人は見てないしと思い素知らぬ顔をしていたところ、それを見ていた友人がふと「え、気功砲打った?」と質問してきました。
ものの数秒でしょうもないながらも秀逸なコメントをしてきた友人に驚くと同時に、その発言を打ち返せるようなボケをすぐ思いつけなかったことに悔しくなりました。
そして、そもそもその捉え方なかったわと思ってしまったこともまた悔しさを助長させました。
(そんなことで競うなという話ですが、自分と友人の会話は相手よりどれだけ良い返しができるかという競争で成り立っている場合がちょくちょくあります…笑)
加えて悔しいのがこの友人は前にも似たような言動をしているということ。
会話中ジワジワくるタイプの話をされ笑いを堪え切れず、鼻息がフンフンフンと出てしまった際も「SL発進したんか」と言われ同じような悔しい気持ちになりました。
サッと聞いただけだとただ冗談を言った友人と上手く言い返せずにぐぬぬとなっている私のくだらない光景ですが、どちらも友人が捉え方や発想を変えたからこそできるコメントです。
普段から柔らかい頭で物を捉えているからこそできることなんだと思うと、素直にすごいと思わざるを得ません。
また書きながら思い出しましたが、何年か前の取材でラブソングを作るのが難しいという話をした際、記者さんから一つの恋愛を色んな角度から切り取っている人が多いというのを耳にしました。
これは捉え方や見方を変えることで自分の芸術に昇華できている代表的な例なのかなと感じます。
このような捉え方の変化によって些細な笑いから芸術、さらにそれが大きくなれば新たな文化が生まれたりすることもあります。
そうやって発展という現象が起こるのだろうと思うと見方を変えること自体はとても素敵なことのように思います。
そして、やはり結局はその捉え方を変えられるという能力を何にどのように使っていくかは、個々の裁量により人それぞれ異なる部分だなと感じます。
だれかを貶めたり屁理屈をこねるために使うのか、はたまた誰かを少しでも笑わせたり感動させるために使うのか。
そこでより素敵な選択ができる人こそ素晴らしいと思いますし、自分もそうなりたいと感じます。
という訳で、当面は会話中に毎度上手い返しができるくらいの力からつけていきたいなと思います…。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
お風呂で汗を流すのが心地良いこの頃。
入浴剤を入れることで贅沢を感じています。
今まであまり気にかけていませんでしたが、薬局などに行くと色々な入浴剤があるもので収集癖が疼きます。
それはそうと、お風呂の防音性の高さに気づいてからお風呂で歌うのがマイブームです。
湿気で喉も痛みませんし合理的なお風呂ライフを謳歌しているなと感じます。
琴音です。
最近、捉え方というのは多種多様だなと思う日がとても増えたなと感じます。
善意悪意、故意過失、何についてもあらゆる角度から捉えられ、疑われ慮られ議論されたりする世の中です。
不安定な状況が拭えないのもあるのでしょうが、なんだか色々面倒臭いなとも思います。
ですが、そんな時だからこそなのか改めて考えさせられることも多いものです。
その1つが先日友人と話していた時のこと。
私が大きめのあくびをしようと息を吸い込んだところ、口を予め大きめに開けていたせいでヒュォォーというなかなかしっかりした呼吸音が鳴ってしまいました。
どうせ周りの人は見てないしと思い素知らぬ顔をしていたところ、それを見ていた友人がふと「え、気功砲打った?」と質問してきました。
ものの数秒でしょうもないながらも秀逸なコメントをしてきた友人に驚くと同時に、その発言を打ち返せるようなボケをすぐ思いつけなかったことに悔しくなりました。
そして、そもそもその捉え方なかったわと思ってしまったこともまた悔しさを助長させました。
(そんなことで競うなという話ですが、自分と友人の会話は相手よりどれだけ良い返しができるかという競争で成り立っている場合がちょくちょくあります…笑)
加えて悔しいのがこの友人は前にも似たような言動をしているということ。
会話中ジワジワくるタイプの話をされ笑いを堪え切れず、鼻息がフンフンフンと出てしまった際も「SL発進したんか」と言われ同じような悔しい気持ちになりました。
サッと聞いただけだとただ冗談を言った友人と上手く言い返せずにぐぬぬとなっている私のくだらない光景ですが、どちらも友人が捉え方や発想を変えたからこそできるコメントです。
普段から柔らかい頭で物を捉えているからこそできることなんだと思うと、素直にすごいと思わざるを得ません。
また書きながら思い出しましたが、何年か前の取材でラブソングを作るのが難しいという話をした際、記者さんから一つの恋愛を色んな角度から切り取っている人が多いというのを耳にしました。
これは捉え方や見方を変えることで自分の芸術に昇華できている代表的な例なのかなと感じます。
このような捉え方の変化によって些細な笑いから芸術、さらにそれが大きくなれば新たな文化が生まれたりすることもあります。
そうやって発展という現象が起こるのだろうと思うと見方を変えること自体はとても素敵なことのように思います。
そして、やはり結局はその捉え方を変えられるという能力を何にどのように使っていくかは、個々の裁量により人それぞれ異なる部分だなと感じます。
だれかを貶めたり屁理屈をこねるために使うのか、はたまた誰かを少しでも笑わせたり感動させるために使うのか。
そこでより素敵な選択ができる人こそ素晴らしいと思いますし、自分もそうなりたいと感じます。
という訳で、当面は会話中に毎度上手い返しができるくらいの力からつけていきたいなと思います…。
っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。