Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

撮りたがりな人達 2022/07/27

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はというと、この頃はブラインドタッチができるように特訓中です。
特に大した理由はないのですが、同世代を見ているとパソコンをカタカタ打っている人とゆっくり打っている人とで分かれてきたなと感じ始めたのがきっかけです。
自分自身はキーボードを見ていないと文字が打てない方なので、思い立ったが吉日ということで練習してみました。
1、2日目は文字の場所がなかなか覚えられず手も思うように動かずで苦戦しましたが、めげずにやり続けると少しずつ慣れてきました。
未だ打ち間違いは多いですが、画面の方を見続けていられるようになり勝手に成長を感じております。
ゆくゆくはスマホのフリック入力くらい早くなれたらなと、密かに燃えています。
琴音です。


日頃考えても仕方ないことを考え続けている私。

同じようなことを考えては同じような結論に至ることがほとんどですが、時にそれまでとは全く別の感情や考えが浮かんだりもします。

つい先日、些細なことながら自分の中で価値観が変わった瞬間があったので書いてみたいと思います。

友人と話していた時のことです。

その友人は好奇心旺盛で、歩いているだけでも気になるものがあればスマホを構える人なので、そんな何でもすぐ写真撮って楽しいのかな…と密かに思っていました。

夢中で写真を撮る姿を見ながら自分の目で見ればいいのにと若者らしからぬ気持ちになったり、まず撮って何になるのだという元も子もない気持ちになったり…。

聞けばそんな友人のスマホには万単位の写真が保存されているんだとか。

サラッと見せてもらっただけでもカラフルな写真が沢山入っていて、電車の時刻表のスクリーンショットしか保存されていない自分とは全然違うなと驚きました。

そもそも個人的には写真自体があまり好きではなかったりするので、何でもすぐ写真を撮っている姿をみると尚更不思議な気分になりました。

そして自分の周りには家族なども含め撮りたがりな人が一定数いるので、その面々を思い返しながらみんな毎度写真ばかり撮って大袈裟だなと遠い目をしていました。

ですが暫くした後、自分は勝手に大袈裟だと思っているが当人達はそう思っていないからそれとなく撮っているんだ、という考えに至りました。

思えば当たり前なことですが、強制されている場合でない限り行動はそれに見合った価値を感じているからこそ実行されるのです。

ならばその撮りたがりな人達は、その時たまたま目に入っただけの何かやたまたま出会った何かに対して、わざわざポケットからスマホを取り出す→電気の灯りや逆光などで画面が見ずらくなっているのを我慢してカメラを起動させる→周りのものなどを確認して照準を合わせ撮影する、という労力をかけるだけの価値を感じているということになります。

なんでも写真を撮ってしまう人というのは、人一倍ふとしたシーンや物に敏感で感受性が豊かな人達である証だったのかもしれない…と今更ながら感じ凹みました。

音楽でアウトプットする自分のような立場こそ、常に色々なものに興味を示すようでなければいけないのではないか、彼らを賑やかな人達だと線を引いている場合では無かったのではないかと思い始めたからです。

音楽や物語といった出来上がったものだけが素敵という訳ではない、もっとありふれていて身近で些細な物や事にも魅力を見いだせる人達は見習わなければいけないなと気づきました。

確かに、段々とありふれたものの良さに目を向けなくなっていたような気がする…と少し反省。

また頭の片隅で、以前にゃんぞぬ先輩がビニール傘に付いていた雨粒を撮っていたのを思い出し、やっぱり流石だなと感動しました。

こうして一通り物思いにふけった後、我に返ると話していたはずの友人はスマホを見ていました。

どこで話すのをやめたんだったか…。

とりあえず今さっき得た気づきを共有しようと「新たな知見を得た!君は感受性が豊かで素晴らしい!」と目を見開いておきました。

「え、ど、ドウシタノ?!」と不思議なリアクションをされましたが、嬉しそうにしてくれていてなによりでした。

自分も写真に収めたくなるほど色々なものに魅力を感じられるよう、少しずつ心がけていこうと思います。

っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。