ちょっと重めの作品紹介 2022/05/11
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はと言うと、先日起きたら左の白目が内出血していました。
ここの所予定が重なっていたので、何か弱っていたのかなと考えつつ、そんなことより鏡を確認する度にギョッとするのがメンタルにきています。
調べたところ暫く待てば自然と治るそう。
再発しやすいらしいので注意していたのですが、2日後には新たな内出血が出来ており、目の繊細さに驚かされました。
なかなか厄介ですので、目に刺激を受けやすい生活をしている方や予定が立て込んでいる方はご用心ください。
琴音です。
以前買った電子書籍を、ちまちま読み返すことがじんわりブームになっているこの頃。
かなり前に母から教えてもらった「不浄を拭う人」という漫画を久しぶりに読みました。
内容は、特殊清掃員の主人公が人の亡くなった部屋を清掃しながら、場面場面で様々なことを体験していくというお話です。
この作品の中核は、ずばり「死」です。
初めて読んだ時にも、死ぬということは人間にとってある意味身近なものであり、同時に得体の知れないものという感覚があったので、なんとも言えない興味が湧きました。
そしてこの作品と再開した今は、残念なことに、より一層人の死が身近なものになっています。
自分自身まだ自慢できるほどの年月を生きている訳ではありませんが、その中でも何度か最期のお別れをしてきました。
そしてその度、単純にも人の生き死になどを考えては、自分の家族友人にも、ひいては自分自身にもいずれ訪れる死というものを恐ろしくも空しく感じていました。
そんな「死」というたった1文字の重い題材を、時にはリアルに時にはコミカルに展開させていくこの作品は、どこかあっけらかんとしたところがあり新鮮でした。
そして単行本1巻の後半では、新たな見識を得ることもできました。
その時のお話は、主人公と昔世話になった先輩が飲みの席で思い出話をするものだったのですが、その回想シーンの中で、元先輩の言った言葉が印象的でした。
「目が覚めたらいつもの日常がくるのが、こなくなっただけ
見るにたえない最期を迎えていても、オレたちが思う程あの人たちはヒサンな生活を送っていたわけじゃないんだ」
ひとりぼっちで最期を迎えた人に対して、気の毒がる主人公に元先輩が言った一言です。
そう言って気に病むなと主人公を励ますのです。
このシーンを読んだ最初、純粋に、確かに今亡くなっている人もその瞬間がくる以前は普通に生きているよなと、亡くなった人の生を感じ少し肩の力が抜けたような感覚がしました。
ただその少し後に、自分が身内のお葬式へ行った時の記憶が顔を出し、以前会った時は気配の感じられる生き物であったはずのその人が、なんの波動も感じない無機質なモノになっているのを実感した冷たさが蘇りました。
自分にその時が来たら、どうなってしまうのか。私自身はどうなるのか、周りに人はいるのか、いるとしたらどんな反応をするのか。
いや、そもそも死んでしまったら感覚も精神も何も無くなるんだから考えて沈んだところでどうにもならない…。
そんなことを考えながら、漫画を読む頭の片隅で老人になった自分を想像していました。
そしてその更に後、大半の人達は自分の死を自覚しないままスっと死を迎え、自分の死を悲しむ人も喜ぶ人も見ずに無になっていくことを実感しました。
それが幸か不幸かは、今の自分には判断がつきませんが、巷でよく聞く「悔いのない人生を送りましょう」的なテンションは自分には無理だなと悟りました。
どうしようもないことに対して人が取る反応は様々で、ただ考えないようにしてみたり、悔いのない人生を~という思考の方向転換をしようと試みたり、神様などの創造に頼ってみたり等、何かしら救いを求めて手を尽くしています。
現に、死と真っ直ぐ向き合おうとて現実味がないので難しい。
そんな時、やんわりとそれを垣間見ることができるのが体験談や漫画などの作品です。
「不浄を拭う人」、暗めな雰囲気の中にも笑いやユルさのある独特なエモさのある内容です。
是非この機会に読んでみてください。
っはい!!
少々暗めでしたが、今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。
私はと言うと、先日起きたら左の白目が内出血していました。
ここの所予定が重なっていたので、何か弱っていたのかなと考えつつ、そんなことより鏡を確認する度にギョッとするのがメンタルにきています。
調べたところ暫く待てば自然と治るそう。
再発しやすいらしいので注意していたのですが、2日後には新たな内出血が出来ており、目の繊細さに驚かされました。
なかなか厄介ですので、目に刺激を受けやすい生活をしている方や予定が立て込んでいる方はご用心ください。
琴音です。
以前買った電子書籍を、ちまちま読み返すことがじんわりブームになっているこの頃。
かなり前に母から教えてもらった「不浄を拭う人」という漫画を久しぶりに読みました。
内容は、特殊清掃員の主人公が人の亡くなった部屋を清掃しながら、場面場面で様々なことを体験していくというお話です。
この作品の中核は、ずばり「死」です。
初めて読んだ時にも、死ぬということは人間にとってある意味身近なものであり、同時に得体の知れないものという感覚があったので、なんとも言えない興味が湧きました。
そしてこの作品と再開した今は、残念なことに、より一層人の死が身近なものになっています。
自分自身まだ自慢できるほどの年月を生きている訳ではありませんが、その中でも何度か最期のお別れをしてきました。
そしてその度、単純にも人の生き死になどを考えては、自分の家族友人にも、ひいては自分自身にもいずれ訪れる死というものを恐ろしくも空しく感じていました。
そんな「死」というたった1文字の重い題材を、時にはリアルに時にはコミカルに展開させていくこの作品は、どこかあっけらかんとしたところがあり新鮮でした。
そして単行本1巻の後半では、新たな見識を得ることもできました。
その時のお話は、主人公と昔世話になった先輩が飲みの席で思い出話をするものだったのですが、その回想シーンの中で、元先輩の言った言葉が印象的でした。
「目が覚めたらいつもの日常がくるのが、こなくなっただけ
見るにたえない最期を迎えていても、オレたちが思う程あの人たちはヒサンな生活を送っていたわけじゃないんだ」
ひとりぼっちで最期を迎えた人に対して、気の毒がる主人公に元先輩が言った一言です。
そう言って気に病むなと主人公を励ますのです。
このシーンを読んだ最初、純粋に、確かに今亡くなっている人もその瞬間がくる以前は普通に生きているよなと、亡くなった人の生を感じ少し肩の力が抜けたような感覚がしました。
ただその少し後に、自分が身内のお葬式へ行った時の記憶が顔を出し、以前会った時は気配の感じられる生き物であったはずのその人が、なんの波動も感じない無機質なモノになっているのを実感した冷たさが蘇りました。
自分にその時が来たら、どうなってしまうのか。私自身はどうなるのか、周りに人はいるのか、いるとしたらどんな反応をするのか。
いや、そもそも死んでしまったら感覚も精神も何も無くなるんだから考えて沈んだところでどうにもならない…。
そんなことを考えながら、漫画を読む頭の片隅で老人になった自分を想像していました。
そしてその更に後、大半の人達は自分の死を自覚しないままスっと死を迎え、自分の死を悲しむ人も喜ぶ人も見ずに無になっていくことを実感しました。
それが幸か不幸かは、今の自分には判断がつきませんが、巷でよく聞く「悔いのない人生を送りましょう」的なテンションは自分には無理だなと悟りました。
どうしようもないことに対して人が取る反応は様々で、ただ考えないようにしてみたり、悔いのない人生を~という思考の方向転換をしようと試みたり、神様などの創造に頼ってみたり等、何かしら救いを求めて手を尽くしています。
現に、死と真っ直ぐ向き合おうとて現実味がないので難しい。
そんな時、やんわりとそれを垣間見ることができるのが体験談や漫画などの作品です。
「不浄を拭う人」、暗めな雰囲気の中にも笑いやユルさのある独特なエモさのある内容です。
是非この機会に読んでみてください。
っはい!!
少々暗めでしたが、今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。