Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

手元の美学 2022/04/13

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
最近、人生初のビリヤードをやりました。
ルールも分からない上に球に嫌われがちな性分の私。
序盤は棒の持ち方にすら慣れずオドオドしていましたが、大人の遊びらしいので友達に教わりながら対戦してみました。
慣れてみるとこれが楽しいもので、繰り返しゲームをやる中で何度か勝てるようになりました。
大人の遊び…いい響きです。
琴音です。


先日、ショッピングモールに出掛けた際、たこ焼き屋さんの前を通りかかりました。

丁度お腹が空いていたので覗いてみたのですが、たこ焼き屋さんに寄ること自体久しぶりだったもので、地元のショッピングモールではよく食べていたなと懐かしい気分になりました。

何となく列に並びながら、子供の頃こうしてたこ焼きを作る手元をみるのが好きだったなと思い出しました。

さっきまでドロドロの液体だったものが、あっという間にたこ焼きになっていく様。

その素早さと不思議さは、何度見ても見応えがありました。

そして列が少し進むことで我に返り周囲を見渡すと、並んでいる他の人たちもたこ焼き作りに見入っていて列が進むことで自分と同じようなリアクションをしていました。

同じようなリアクションの流れが前から後ろに伝染していくのもまた面白く、やっぱり見ちゃいますよね…と勝手に共感してほっこりするのもまた楽しみのひとつでした。

たこ焼き作り以外にも、つい見入ってしまうような手の動きをするものは案外沢山あります。

自分自身何か独特な動きをしている手元をみるのが好きなので、見つけるとついつい眺めてしまいます。

料理をしている手元、楽器を弾く手元、メイクをしている手元も同じ理由で見入ってしまいますし、冒頭で書いたビリヤードもそのひとつでした。

より日常的なことで挙げれば、ゲームのコントローラーを動かす手元、スマホのフリック入力をしている手元もなかなか見ていて面白いです。

かなり前のブログで、友達が髪を結ぶ仕草を見てしまうというのを書いたことがありましたが、そういった日常のちょっとした手元も目に入ると眺めていたくなります。

そんなに動作をしているのが見たいなら自分が何かをしている時にでも見ておけと思う方もいらっしゃるかもしれません。

自分も何処かのタイミングでやってみたのですが、これが何故だか他の人の手元を見ている時の面白さや高揚感がなく退屈でした。

ここまで思い返し、同じ手なのにと改めて原因を考えてみました。

手元を注視することで動きが鈍くなるからなのか、見慣れているものだからなのかなどなどと色々考えてみました。

結果、そもそも自分の手の動きを意識していない時の手元が美しいのだという結論に達しました。

私が見入ってしまう動作をしているその人達は、全員手元ではない別の対象に注目して動作を行っていました。(まず手元に注目しようとしている人の方が稀ですが…)

最初のたこ焼き職人の人達で言えば、たこ焼きを焼いている手ではなく、焼かれているたこ焼きを見ているという感じで手や腕をほぼ完全に道具として使っているのです。

その時には対象物を見ることに精一杯ですから、身体の一部という意識から外れた手や腕は人間味を持ちながらとどこか無機質的な美しさを持ち始めます。

また独特な動きを要するものは大概の場合、対象物も小さいので細かい動きをする必要があり、それをスムーズにやるには練習が必要なので動き自体も時間や努力による何かを帯び始めます。

それらの要素が宿ることでついつい眺めてしまう手元ができると気づいた時、赤の他人が見入ってしまうほどの引力がある手元というのは、相応の労力がかかっている凄いものなんだと再認識しました。

今までなんとなく綺麗ですごいな〜と思っていたものに新たな魅力と尊敬を見出した瞬間でした。

神は細部に宿るというくらいですから、その細部を作る手元が美しく見えるというのもおかしな事ではありませんね。

皆さんが何か作業をしている時、近くにいる誰かにぼーっと手元を見られているかもしれません。

そんな時は自分の手元が素敵に見えているんだなと心の中でほくそ笑んでおきましょう。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました。
また来週!