Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

我が家の父ちゃん 2022/04/06

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ちょっとした地震が多くなっている気がするこの頃、心穏やかで居られない時間はしんどいものです。
地元に比べ東京は地震が多いなと前々から思っていたのですが、それにしても最近は地面が活発でいらっしゃいます。
のんびりしている時に揺れるのもそれなりに驚きますが、別のことに集中していた時の地震はさらにビビりスイッチが入ってしまいます。
特にパソコン作業や機材を使っている時などは、まず揺れに驚いて椅子から数cm飛び、揺れが大きくなるかもしれないという不安とデータが消えるのではないかという焦りの同時攻撃にメンタルがやられます。
ということで、何となく揺れやすい気がしている夜はなるべくスマホ作業にしなくてはだな…と思いながらパソコンを使う日々を過ごしています。
琴音です。


実は先日、父の誕生日でした。

前回のブログを見てくださっている皆さんは、自分の帰省する目的は父の誕生日を祝うためだったのかと思うかもしれません。

ただ残念ながら日にちを覚えることがとてつもなく不得意な私。
すっかり忘れて誕生日の前日に帰るという所業を成してしまいました。

そんな訳で今回は父について少し書いてみたいと思います。

とは言っても今までブログやら取材インタビューの際には時々出てきていたりするので、ここでは自分にとって忘れられない思い出をいくつか紹介します。

まず何よりも忘れられないのが父のオリジナル曲。

まだ私が小学校低学年だった頃、夜になると自宅の音楽部屋に閉じこもる父が気になってよく覗きに行っていました。

曲を作ったり、できたばかりの曲を聞かせてくれたりしていたのですが、その中でも一曲幼い私がボロ泣きしてしまう曲がありました。

父の母親、私の祖母にあたる人に宛てた曲でした。

涙もろかった私はしゃっくりが出るほどの泣きようで、父は照れ隠しもあってか泣いている私を見て笑いながらからかっていました。

その後拗ねて母に愚痴るため音楽部屋を出ていった記憶すら未だ残っている、とても印象的な時間でした。

父親としての親しみとは別に、音楽家としての尊敬を明確に感じた瞬間でもありました。

子は親を超えるものだと聞かされていた私にとっては、その壁の強大さを実感した瞬間でもありました。

私は今まで家族に向けた歌をいくつか作っているのですが、父に宛てた曲が一曲もないのはそのためです。

書こうと思ったことは何度かあるのですが、先輩に向かって後輩が曲を書くような、未熟なものを送って自己満足するような形になってしまうのが嫌で結局作り始める前に終わっています。

それほどに幼いながら衝撃を受けた思い出です。

他にも同じ小学校低学年の頃、こぶしを回すことを求められ、何度教えられても出来ず悔しさのあまり号泣したこともありました。(幼い自分泣いてばっかりですね…)

父はただ当時の私くらいの年齢ではどれくらいのことができるのか知りたかっただけなのですが、それでも自分にとってはある種の挫折でした。

また小学校の催し物としてカラオケ大会が行われることになった時には、練習しなきゃと言われカラオケボックスに連れられたこともありました。

しかも曲が始まって一、二文字でやり直しというストイックぶり。

歌い出しからやり直しが連発し、たった一曲をやり切るのに数時間かかりました。

まだ子供だった私は、たかが昼休みにやるカラオケ大会なんだから家で練習すれば十分なのに、どうしてそこまでやる必要があるのかと思っていました。

ですが今思えば、どんな場合でも人前でパフォーマンスをするなら手を抜いてはいけないという思いからだったのかもしれません。

私がそれを身をもって感じるようになるのは音楽活動を本格的に始める中学生になってからです。

ギターを弾けるようになりたくて家にあったミニギターで練習し始めた時には、おもちゃで練習するくらいならと新品のギターを買い与えてくれたりもしました。

ギターの値段も大小ありますが、お金の価値をよく分かっていなかった当時すら自分には早すぎるのではと思うくらいの質の良いギターをもらいました。

その嬉しさとプレッシャーから、始めてから日が浅いことも忘れ練習しました。

弦をおさえる指にお湯がしみてお風呂に入っても頭を右手だけで洗う羽目になり、指についた銅が洗っても取れず指先が緑色になり、それでも続けると遂には残っていた右腕が腱鞘炎になり…。

正直部活動より根性出していたのではと思うほどでしたが、指先が鍛えられ、コツも掴んだ今となっては良い思い出です。

ここまで見てみると、父がなんだか厳格な人のような雰囲気ですが、音楽という分野では厳しさが出るだけで普段は大袈裟でなく仏のような人です。

家族団欒の場ではふとした時にくだらない事をぼそっと呟いて母を笑わせ、私や弟が失敗した時には静かに諭す独特な父ちゃんです。

私のライブ活動が続くにつれ、父自身が初めて買ったギターすら与えて活動を見守ってくれていました。

傍で活動を支えてくれていた母とは違い、ライブは年に数回見に来る程度でしたが、深い思考があり軸のぶれない父は、幼い頃から親でありながら先輩であり先生でもあるような存在でした。

今は両親ともに離れて暮らしており、なかなか接する機会がありませんが、時々会って話すだけでも気が楽になり勉強になります。

自分自身時間とともに成長しているつもりですが、いつまで経っても親は親で子は子なのだなと常々思います。

これからも何だかんだお世話になりながら、家族を大切に思えるようでありたいと思います。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。