Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

アナログデジタル 2022/02/02

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、大きめのタンブラーを手に入れました。
こまめに飲み物を注ぐことすら面倒な私は、普段から容量のあるカップばかりを使っているのですが、それに比べてもなかなか良い大きさです。タンブラーは飲み物の温度が変わりにくいので、日課になりつつある長湯の際にも重宝しそうです。
インドア生活のグレードがさらに上がりました。
琴音です。

最近、さらなる居心地の良さを求めて作業机とその周りのあれこれを自分好みに配置し直してみました。

残念ながら、自分好みにすればするほど要塞化していきました。

ゴツい見た目に加えて物が散乱したようになっており、我ながらひどい机だと思っていると、その奥にあるリビングスペースに目が行きました。

決して綺麗ではありませんが、作業机と比べると物が溢れている感はあまりなく、実家にいた頃の常に自分のテリトリーに物を置く生活がいつの間にか無くなっていたことに気がつきました。

大人になったということなのかと思いながら色々と考えていたのですが、以前に比べデジタル化した要素が多いという結論に至りました。

自分自身凝り始めると収集癖が出てしまうので、そういえば実体としてかさばらないものにハマるようにしていたなと思い出してみたりもしました。

例えば本やゲームは電子書籍やダウンロード版にすれば場所をとることがなくなります。

歌詞を書く時に紙ではなくスマホのメモ機能などに残しておけば定期的に散らばった残骸を片付ける必要もありません。

過去のメモが急に必要になれば指先一つで取り出すことも出来ます。

アナログとデジタルの両方が存在するものというのは思いのほか沢山あるもので、音楽もまさにその一つです。

曲を聴く手段から音楽そのもののジャンルまでアナログとデジタル双方の世界が広がっています。

音楽にしろ何にしろ、それをどう取り入れるかは個人によるので自身に合う方をその都度選ぶのが一番だと思いますが、ただ自分に合わないと感じた方を極端に嫌ってみせてしまい始めると考えものです。

やはり両方が残っているのは各々に違うメリットがあるからで、それならば両方を選べる状況そのものに価値があると思うのです。

そもそもアナログかデジタルかは一つの区切りでしかないので、その視点のみに拘るというのも不思議なものですよね。

趣味趣向というものはうつり変わっていく場合もありますから尚更です。

多様性が注目されることの多い今、自分の価値観を持ちつつも、そっちもいいよねという視点を忘れないように生きていきたいと思うこの頃です。

好みというのは難しいものですね。

皆さんはどうお考えでしょうか。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。