Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

優しい嘘とクリスマス 2021/12/15

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、一日中ご飯にありつけずお腹が減ったので、何となく量が多いイメージのある中華料理を食べました。
実家にいた頃はどんなにお腹が減っていても食べきれなかった五目麺を食べきり、パンパンになったお腹を撫でながら一喜一憂。
お腹が減っているからと自分を誤魔化していますが、この数年で少し胃が広がっていたようです。
身長はほぼ止まっているというのに。
…美味しいものが沢山食べられますね…♨︎(笑顔)
琴音です。

さて、もう少しでクリスマス。

近所のお家や施設がキラキラし始めている今日この頃。

サンタさんが来る日まであと何日寝ればよいか数えながら眠りについていた日々が懐かしいです。(私の家は毎年サンタさんが来るタイプの家でした)

自分で言うのもなんですが小さい頃はなかなかにロマンチストだったので、クリスマスには弟と手紙を書き、お菓子や飲み物と一緒にベッドの近くに置いて眠ったりしていました。

一目会おうと寝たフリをしながら待ち続けそのまま眠りについてしまうというのもお約束でした。

そんな毎年がいつからか疑惑を含みだし確信に変わっていくというのもまた大人になるということ。

そして柔らかく優しい嘘は良き思い出となり次の世代のサンタさんが誕生するのです。

こうして考えていると、世の中にはサンタさん以外にも優しい嘘が溢れています。

温かい何かをもった嘘は時にそれ自体が美しく感じられることや、事実を伝えるよりも良い形になることがあるのです。

名の通り事実と違うことを言うこともあればオブラートにくるんだり、ある程度フォーマルな場であればお世辞や社交辞令などもその一種です。

嘘と言うと人を欺く、騙すという意味で使われることがほとんどなので、悪いイメージをもつ場合が大半だと思いますが、私個人としてはそのイメージに該当しない嘘も沢山あると思います。

もちろんバレる可能性はありますし、それで人が傷つけばただの嘘になってしまいます。

いくら誰かを思うが故であっても、その思いが結果を伴って届かなくてはいけないので、使う際には注意が必要ですしある意味賭けの要素もあります。

ただ、思いやりがあるかどうかという違いで嘘も深みのあるものになるというのは感慨深いものです。

クリスマスの話題から大分広げて考えてしまいましたが、私自身、今の時点では敢えて嘘をつくよりかは大概ありのまま話してしまうか、ひたすら黙っているかという選択肢をとることがほとんどです。

ですが、いつかクリスマスにプレゼントを渡す相手ができた際には寝静まった夜にこっそり置いておきたいものだなと思っています。

こんなことを考え始めたのもまた大人の階段というやつですね。


っはい!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。