Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

偏りある視点 2021/07/14

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
日頃YouTube中毒なため、息抜きをしたい時はほぼYouTubeを開いているのですが、途中で流れるCMの中でたまにホラー系の映像を見かけます。
超がつくほどビビりなので、怖そうな音楽と薄暗い絵面だけで固まりますし、その日はまず寝れません。
もう半年もすれば20歳になるというのに…。
いつになったら慣れるのでしょうか…。
元々の夜型な体質に拍車がかかりそうです。
琴音です。

さて、ここぞと言う時以外は常にまったりのんびりを極めている私ですが、こんな頼りない私でも慕ってくれる後輩というのがおります。

高校時代の後輩ですが今も時々音楽の相談をしに連絡をくれます。

相談相手が自分なんぞでいいのだろうかという一抹の不安を抱えながらも、毎度自分なりの考えを伝えているのですが、その度いつも助かっていますとお礼を言ってくれたり、時には見返せるように「スクショ(スクリーンショット)しました!」と言ってくれたりと、とても素直な返答をしてくれます。

その時、言ってよかった…と思うのと同時に、確かに伝えたことを文面として残しておけるのはSNSならではだなとも思います。

時にSNSは色々な負の部分によって嘆かれることがありますが、そもそもは離れている誰かとも簡単に関われるという前向きな利便性がSNSの根底なんだなと改めて感じました。

負の感情といえば、昔、勝負事は勝つよりも負ける方が成長できるのだと何処かで聞かされたことがあります。

当時は悔しさをバネにして精神的に躍進できるという意味なのだろうと思っていましたが、当時も思い出した今も、偏りのある意見だなとも感じます。

勝つことを目標において努力したならば、その時点で結果がどうであれ以前より成長しているはずですし、失敗して伸びる人もいれば褒められて伸びる人もおり、その逆も然りです。

また、勝ち負けというところに拘りを置いていない場合は勝負というもの自体が大した意味をなしません。

どこに重点を置き、結果をどう受け止め、次にどう進むかは各々次第であり多様なのです。

SNSにしろ勝負事にしろ、何にせよいつの間にか負の感情ばかりを見るべき場所とする人というのは一定数おりますし、分野によっては自分も例外ではないと思いますが、如何なる時でもなるべく多角的に、それでいて人情を持ってものを見られるようでありたいと思う今日この頃。

結局何処かで偏りは出てしまうのですがね。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。