Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

七夕ですね。 2021/07/07

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
最近夜遅くにお腹が減ることが増えてきました。
憎らしいことに一番ものを食べてはいけなそうな時間帯に丁度お腹が鳴り出します。
そこでお腹がすき始めた時に、汁物を飲むようにし始めました。
特に好きなのは玉子スープです。
この時期は寝る時に汗をかきやすいので、軽い塩分補給にもなるなと思っています。
寝る前の時間、楽しんでます。琴音です。

さて本日は7月7日、年に一度の七夕ですね。
いやよく考えればどの日も年に一度ですね。
う〜ん深い…(?)

そんな七夕ですが、街のちょっとしたところに笹竹や短冊が置かれ、誰からともなく短冊が結ばれていくのはどこかそれ自体に神秘的なものを感じます。

自分の地元でも日が近づくにつれスーパーやコンサートホールなど人が集まるところに設置されていました。

冷静に考えてしまえばただの儀式的な神頼みですが、沢山の短冊で彩られた綺麗な笹竹を見ると何故か書いた願いが叶うような気がします。

保育園児の頃などはイベントに参加しているという楽しさも相まってか、見つける度に願い事を書こうとした強欲な時もあったものです。

そしてなんと言っても、自分がついついやってしまうのが他の人の願い事を読むこと。

顔も知らない誰かの願い事を半ば無意識に読んでいます。

書き方や字体にもそれぞれ人柄が出ていて、内容と合わせて考えてみるとより興味深いです。

自分も昔同じようなことを書いてたなと頷いてしまうような内容が少しずつ斜めに向かう幼い字体で書かれていたり、願い事よりも自分の名前の方が大きく書かれていたり、といったクスッと笑ってしまうもの。

数年後にはあの時が1番頑張っていたと振り返るのであろう情熱やエネルギーに満ちているものがあると思えば、すぐ側には落ち着いた現状維持を願うものがあったりもします。

誰かへの愛情を感じるものや、何気なく過ごせるのは当たり前ではない、というよくある言葉の本質的な意味を感じさせられるものも多く見受けられます。

場所が高く見るのが億劫なものもありますが、目を通せば一人一人が各々違う生き方をして過ごしているのだなといつもより深く感じられます。

百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、誰かの体験というのは数時間の講演を聞けど、何百ページある厚い本を読めど、知識として多くを取り込んでもその人の体験した実感を得るには遠く及ばず、たとえ似たような体験を持ってしてもその人が体験した感情も思考回路も所詮憶測でしか考えることができないのです。

短冊のような数十文字程度の紙切れならば尚更でしょう。

ここ数年自分が時折思い悩んでしまうことですが、七夕のように人の深層に触れる機会になると、得てしてこの事実が浮き彫りになります。

そしてその事実こそが人と人との限界でもあり、思い悩もうがどうしようがそれは変わらないのだなと虚しい気持ちになります。

ですが、一方で当人に比べれば微々たる共感やそれに付随する同情や感動も、時に大きな力になるというのもまた事実。
相応の価値があると信じています。

だからこそ、自分自身においては、音楽という表現の中で少しでも誰かの楽しみや糧であれればと思います。

そんなことをしみじみと考えながら、ノリノリなダンスミュージックの課題を制作する今日この頃。
これもまた私の音楽の一部なのです。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました!
また来週。