堕ちた話 2021/03/03
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はというと、最近は課題も最終段階に入り、より忙しくなってきました。
睡眠時間も乱れつつあるため数時間寝ては作業し数時間寝ては作業しを繰り返しているため色々な感覚が無くなってきました。
例によって空腹にも気づかなくなってきてしまったので、これはまずいと思い、カルシウムが沢山含まれている気なフレークと美味しそうな青汁を買いました。
これでプラマイゼロですね(?)琴音です。
さて、先日とある授業内で話し合っているうちにちょっとした雑談が始まっておりました。
その中で昔の記憶の一端を思い出したので、今回はそれについて書いていきたいと思います。
好きなものに拘りがある人というのは年代問わず多いもので、私にとっては音楽がまさにそうなのですが、音楽によって19歳なりに濃ゆい人生を送っており、勿論嬉しい経験ばかりではなく嫌な経験や苦しい経験も沢山してきた訳です。
その中で何度か、思い詰めて思い詰めて挙句、負の感情の連鎖にはまってしまい、自分の力だけでは抜け出せないところまで堕ちてしまったことがあります。
俗に言う闇堕ちというやつですね。
その一つが地元で個人活動をしていた時のことです。
母の知人の方がジャズカフェで主催していたセッションにお邪魔させて頂いたのがきっかけで、知り合った方に地元の専門学校が開催するオーディションイベントに出ようと誘って頂き、臨時でバンドを組んだことがありました。
それまでバンドを組んだことなどなく、尚且つライブでご一緒するバンドやユニットの方々を見ては友人と音楽ができるなんて羨ましいと思っていた自分にとっては願ってもない幸運でした。
ボーカルの私とキーボーディストとドラマーの3ピースだったのですが、リハーサルで集まった際には、素敵な演奏で自分の歌を支えてくださり、最年少だった自分にとても丁寧に接してくださり、和気あいあいとしていて楽しい時間を過ごせました。
本当に有難い…もっと頑張らなくては…素敵な演奏を汚さないためにもボーカルの自分がもっと上手く歌わなくては…。
今までとは違う感覚に最初は意気込みと期待感ばかりだったのですが、いつの頃からかその感情は申し訳なさと不安感に変わり、自分のような未熟者が素敵な演奏の土台の上に登っていいのだろうかと自己嫌悪ばかりするようになってしまい、最後には何を考えても消極的な着地ばかりするようになっていきました。
その頃にはもう自分では止めようがなく、止めたくても脳が勝手に消極的なことばかり考えるよう回っているような感覚になっていました。
苦し紛れに自分は未熟だから残りのバンドメンバーの人達に申し訳ないと家族に相談しても、その感情を拭えるような言葉や考え方は見つからず、むしろ聞かされる前向きな言葉が全く馴染まず、ある時爆発してしまい子供部屋で一人泣いていました。
そんな自分を発見した母が、TwitterやFacebookでお客さんが書いてくださっていたコメントを見せてくれ、応援してくれる人がいること、バンドメンバーの人達があなたとイベントに参加しようと思ってくれたことを素直に受け止めなさいと叱責に近い激励をくれました。
その時の衝撃が自分には良かったのかそこからは割と早く立ち直ることが出来、メンバーの人達の胸を借りて精一杯やろうと思えるようになりました。
本番は観客だった学生の皆さんがとても盛り上げて下さり緊張が心地良く感じたものです。
私自身、当時から自己肯定感も自我も自覚するほどには持っているつもりでしたが、そんな私でもとてつもなく落ち込んでしまうと一気に精神的に不安定になってしまいました。
ここ暫く、少なくとも上京してからは、難しいことに悩んだりはしても落ち込んで立ち直れなくなるようなことはなく、友達のエネルギーや刺激を感じて過ごしております。
自分の人生を決定するのは自分だとはよく言いますが、自分の周りにいる人や状況によって考え方や下す決定が全く違ってくるというのもまた事実。
私が19年という時間で身をもって実感したことです。
これからもまた色々な経験をしていく上で新たな考え方が見つかったり、感じ方そのものが変わっていくかもしれません。
その変化を折々で感じつつ、自分の糧としていきたいと思います。
っはい!!
思いのほか長くなってしまいました。
皆さんも自分の紡いできた時間を大切に日々をお過ごしください。
ご清覧ありがとうございました。
また来週。
私はというと、最近は課題も最終段階に入り、より忙しくなってきました。
睡眠時間も乱れつつあるため数時間寝ては作業し数時間寝ては作業しを繰り返しているため色々な感覚が無くなってきました。
例によって空腹にも気づかなくなってきてしまったので、これはまずいと思い、カルシウムが沢山含まれている気なフレークと美味しそうな青汁を買いました。
これでプラマイゼロですね(?)琴音です。
さて、先日とある授業内で話し合っているうちにちょっとした雑談が始まっておりました。
その中で昔の記憶の一端を思い出したので、今回はそれについて書いていきたいと思います。
好きなものに拘りがある人というのは年代問わず多いもので、私にとっては音楽がまさにそうなのですが、音楽によって19歳なりに濃ゆい人生を送っており、勿論嬉しい経験ばかりではなく嫌な経験や苦しい経験も沢山してきた訳です。
その中で何度か、思い詰めて思い詰めて挙句、負の感情の連鎖にはまってしまい、自分の力だけでは抜け出せないところまで堕ちてしまったことがあります。
俗に言う闇堕ちというやつですね。
その一つが地元で個人活動をしていた時のことです。
母の知人の方がジャズカフェで主催していたセッションにお邪魔させて頂いたのがきっかけで、知り合った方に地元の専門学校が開催するオーディションイベントに出ようと誘って頂き、臨時でバンドを組んだことがありました。
それまでバンドを組んだことなどなく、尚且つライブでご一緒するバンドやユニットの方々を見ては友人と音楽ができるなんて羨ましいと思っていた自分にとっては願ってもない幸運でした。
ボーカルの私とキーボーディストとドラマーの3ピースだったのですが、リハーサルで集まった際には、素敵な演奏で自分の歌を支えてくださり、最年少だった自分にとても丁寧に接してくださり、和気あいあいとしていて楽しい時間を過ごせました。
本当に有難い…もっと頑張らなくては…素敵な演奏を汚さないためにもボーカルの自分がもっと上手く歌わなくては…。
今までとは違う感覚に最初は意気込みと期待感ばかりだったのですが、いつの頃からかその感情は申し訳なさと不安感に変わり、自分のような未熟者が素敵な演奏の土台の上に登っていいのだろうかと自己嫌悪ばかりするようになってしまい、最後には何を考えても消極的な着地ばかりするようになっていきました。
その頃にはもう自分では止めようがなく、止めたくても脳が勝手に消極的なことばかり考えるよう回っているような感覚になっていました。
苦し紛れに自分は未熟だから残りのバンドメンバーの人達に申し訳ないと家族に相談しても、その感情を拭えるような言葉や考え方は見つからず、むしろ聞かされる前向きな言葉が全く馴染まず、ある時爆発してしまい子供部屋で一人泣いていました。
そんな自分を発見した母が、TwitterやFacebookでお客さんが書いてくださっていたコメントを見せてくれ、応援してくれる人がいること、バンドメンバーの人達があなたとイベントに参加しようと思ってくれたことを素直に受け止めなさいと叱責に近い激励をくれました。
その時の衝撃が自分には良かったのかそこからは割と早く立ち直ることが出来、メンバーの人達の胸を借りて精一杯やろうと思えるようになりました。
本番は観客だった学生の皆さんがとても盛り上げて下さり緊張が心地良く感じたものです。
私自身、当時から自己肯定感も自我も自覚するほどには持っているつもりでしたが、そんな私でもとてつもなく落ち込んでしまうと一気に精神的に不安定になってしまいました。
ここ暫く、少なくとも上京してからは、難しいことに悩んだりはしても落ち込んで立ち直れなくなるようなことはなく、友達のエネルギーや刺激を感じて過ごしております。
自分の人生を決定するのは自分だとはよく言いますが、自分の周りにいる人や状況によって考え方や下す決定が全く違ってくるというのもまた事実。
私が19年という時間で身をもって実感したことです。
これからもまた色々な経験をしていく上で新たな考え方が見つかったり、感じ方そのものが変わっていくかもしれません。
その変化を折々で感じつつ、自分の糧としていきたいと思います。
っはい!!
思いのほか長くなってしまいました。
皆さんも自分の紡いできた時間を大切に日々をお過ごしください。
ご清覧ありがとうございました。
また来週。