Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

夜型と曲作り 2021/02/17

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、両親の結婚記念日でした。
2~3年前にやっと両親の誕生日を覚えた私ですが、結婚記念日は全く覚えておらず寝耳に水でした。
とはいえなんやかんや忙しく通常運転で過ごすことになったようで、弟はうすら不満げでしたが、その数時間後に地震。
お祝いを台無しにされず、ある意味よい選択だったのかもしれないとほっとしました。
今度何か送ろうかなと思いました。琴音です。


さて、最近はまた試験期間が近づいてきており作品制作に勤しんでおります。
そんな中でふと改めて感じたことがあったので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

数年前、取材でインタビューを受けた時に、ライターの方が「琴音さんの曲は夕方とか夜とか夜明けの時間帯のものがとても多い気がします」と話してくださったことがありました。
それまではあまり意識していなかったのですが、いざ振り返ってみると自分が作詞をしている曲はほぼ全てと言っていいほど、情景が夕方から夜明けくらいの時間帯のものばかりでした。

確かに私にとってそれくらいの、要は日があまり出ていない時間帯というのはとても特別な深みを感じるのです。

まだ保育園に通っていた頃、母が家から少し離れた場所にある大きな公園によく連れて行ってくれていたのですが、その帰り、車の中で夕日を見ていた時にふと、さっきまでブランコに乗っていた自分は今車に乗っている…こんな風にそのうち色んなことが過ぎたことになってしまうんだな……しみじみ…と謎の悟りを開いてしまい、今見ている景色をずっと覚えておこうと眺めていた景色が夕日でした。(とはいえ、それ以前にも朧気に似たような気持ちになっていた事はよくあったので、未だに自分の一番古い記憶はオムツを変えられている時の家の天井です(笑))
その時の他にも、学校の帰りに見た丸い夕日や少し赤みを帯びている灰色の雲、神秘的な色合いの月、夜になると音楽室に籠っていた父に会いにいこうと自分も出入りするようになったことや、父の様子を見ているうちに眠ってしまっていた日々、怖い夢から飛び起きたときや早起きを日課にしていた時によく見ていた夜明けの全てが青色に染まっている時間などなど…どれも幼少期から現在に至るまでのふとした瞬間の美しさやエモさ(?)を感じる時間帯は大体同じで、いつしかそれが自分の中で蓄積し、詩を書く際に一番呼び出しやすい記憶として残っているようです。
また、もともとインドア派なので、日差しが苦手で日が照っている時間を避けがちな性分もそれなりに含まれていると思われます。
そう考えると、自分の根底はやはり根暗な陰キャなのだなと……何とも言えない気分になります。
夜型な曲ばかりではなく、明るくてオシャレな曲も作れるようになりたいものです。


っはい!!
今回はこの辺で終わります。
ご清覧ありがとうございました。
また来週!