Kotone Note 琴音 すみっこ目せん

お客さんという存在 2020/09/23

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、イベントの出演に伴い故郷長岡に帰っておりました。
ステージ本番前にテントで控えていたところ、準備をしていたスタッフさんから質問が。
「琴音さんは以前運動部とかに入ってらっしゃったのですか?」
勿論答えはノーです。学校の授業以外ではさほど運動といえる程の運動をしてこなかった人生、そもそも運動自体好きではないので運動部などには1日たりとも、むしろ体験入部にさえ行ったことはございません。
ですが、ここ1年弱で同じような質問を頂くことが多くなってきました。
私が前よりもハツラツとした人間になったのか、それとも生まれつき広めの肩幅がさらに成長してしまっているのか、などと考えながらもこの一連の出来事を母に話してみました。

「あんたが汗臭かったんじゃない?」と言われました。
そう簡単に汗をかけるほど代謝、良くありません。
でも…臭かったのでしょうか……。琴音です。


さて、そんな思い出もある長岡営業でしたが、久しぶりの生ライブでもありました。
やはりこのご時世、お客さんとのソーシャルディスタンスを保ったライブとなりましたが、それ以上に私にとっては感慨深いものがありました。
歌い出しの一声からお客さんの反応が直に見え聞こえ、曲の音が止まった一瞬に視線が私に集中する感覚が強まり、それが解れて拍手が鳴り、またその音も直に耳に届く。

精一杯のパフォーマンスをすれば反応がもらえるという、当たり前ではなくなった当たり前が身に染みて感じられた瞬間でした。
ここ数ヶ月、色々な形で音楽を届けて参りましたが、その全てに通づるのは、配信であるということ。
配信ではお客さんの声は文字では届けど直に聞こえることはありません。
勿論、拍手も聞こえません。
インスタライブなどラフな場面ではともかく、先日行ったスタジオセッションなどショーとしての一面を持つ「ライブ」においては、お客さんの反応がない中でどのようにパフォーマンスを見せるかということも、実は大きな壁になっていました。
私は色々な案があった中で、なんの音もならない場を楽しんでみせようという方法を選びましたが、聞くところによれば他のアーティストさんも配信という独特な場でのライブは何かと苦戦しているようです。
それはライブという場において、お客さん無しでは成り立たない状況、お客さんにしか似合わない言動というものが、とても大きな部分を担っているからです。
例えば先程書いた拍手。
これはお客さんがするからこそ生きてくるもの、つまりお客さんにしか似合わない言動に該当します。
勿論、配信でも、その場にいるスタッフさんが拍手をすることもありますし、何かしらの形で拍手の音源を鳴らしたりもしようとすればできるのですが、それらは全て、どこかもの寂しいものです。(そのような演出やスタッフさんが悪いということではないのですが…。)
つまりは、例え人数が1人であろうが100人であろうが、純粋に演者のパフォーマンスを受け取り拍手など反応を返すという行動をするお客さんという存在自体がとても価値のあるものなのだと言いたいのです。
仮に内々の人達がする拍手とお客さんがする拍手の音が全く同じであっても、人数が同じであっても、内々の人達がどんなに演者に思い入れを持っていても、お客さんという存在の前では敵わないのです。

また、アンコールなども似たようなものです。ですが、これはどちらかといえばお客さん無しでは成り立たない状況に該当します。
これも前段と同じようにスタッフさんなどがアンコールを促すこともでき、スタジオセッションの打ち合わせでも案のひとつとしてあったのですが、私のライブにおいてはちょっと寒すぎるということで丁重にお断り致しました。
やはりこれも、お客さんが促してこそだとおもうのです。
それこそ、ツアーなどの場においてはアンコールは必ずあると言っても過言ではないですし、セットリストもアンコールがある想定で組むので、お約束的な部分は否めませんが、それを踏まえても最後お客さんに行動して頂くというのが何より重要な点なのです。
拍手もアンコールもお客さんから頂く一種の意思表示ですから、そういったお客さんからの反応があってこそ、ライブというものにリアルな人間味と温かさがでるのではないかと思うのです。
今回お客さんという存在について今まで以上に大切な部分を見出すことができました。
今後また昨今の状況が変わっていく中で、より色々なことについて思うことが出てくると思いますが、それはまた別の機会に語りたいと思います。


っはい!!
言葉足らずではありますが、今回はこの辺で。
ご清覧ありがとうございました。
また来週!